違星北斗の生涯(その14 後世への影響)
《違星北斗の生涯》
(その14 後世への影響)
※これは管理人がやっているツイッター「違星北斗bot」(@kotan_bot)をまとめたものです。
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アイヌの歌人・違星北斗Botを作ってみました。違星北斗27年の生涯を、ツイートで追体験してみたいと思います。
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【ボストンバッグ】
北斗の死から二日後の1月28日、古田謙二は消毒液の匂いのプンプンする寝室に入り、枕元においてあったボストンバッグから遺稿を取り出します。
その中には日記が2冊あったといいます。
【死亡記事】
1月29日には小樽新聞に北斗の死亡記事が載ります。
「違星北斗氏逝去 本道アイヌの先覚者として将又青年文士として世人に嘱目されてゐた余市の違星北斗君は去る二十六日肺を病みて大川町自宅に於て死去された」
【小樽新聞1/30】
山上草人
夕陽さす小窓の下に病む北斗ほゝえみもせずじつと見つめる
やせきつた腕よ伸びたひげ面よアイヌになつて死んでくか北斗
この胸にコロポツクルが躍つてる其奴が肺をけとばすのだ畜生!
忘恩で目さきの欲ばかりアイヌなんか滅びてしまへと言つてはせきこむ
【小樽新聞2/17】
上元芳男
風寒い余市の海の浪音に連れて行かれた違星北斗よ
アイヌだけがもつあの意気と弱さとを胸に抱いて違星は死んだ
【小樽新聞2/18】
親友の歌人・稲畑笑治による北斗の追悼文が掲載。bit.ly/SNI9e7
【小樽新聞3/2】
山上草人
遺稿集あんでやらうと来て座せば畳にみる染むだ北斗の体臭
クレグールくさい日記にのぞかれる彼の想ひはみな歪んでる
「このシヤモめ」と憤つた後の淋しさを記す日記は読むに耐へない
金田一京助さんの恩恵に咽ぶ日もあり、いぢらしい男よ
【小樽新聞3/2】
加藤未涯
眼をとぢてコタンの歌を口にせば 命ほろびたひとの尊とさ
【新短歌時代3月号】
村上如月「違星北斗君を悼む」bit.ly/SNJku6
マキャブといふひと言ゆゑに火と燃えた北斗星の血潮はヒカチの血潮だ
雪よ降れ降つて夜となれあゝ一人こゝにも死ねぬ男のまなざし
エカシらがコタンに泣く日セカチらが神に祈る日北斗が死んだ日
【小樽新聞3/8】
山上草人
「神なんかいないいない」と頑張った去年の彼の日記がイエスの言葉で閉ぢられてゐる
凡平の曾ての歌を口ずさみ言ひ寄つた去年の彼を忘れぬ
シヤモの嬶貰つた奴を罵倒したその日の日記に「淋しい」とある
ウタリーの叫びをあげた彼の歌碑どこへ建てやうどの歌彫らう
【小樽新聞3/21】
本吉心星
何気なく古新聞を手に取れば死んだアイヌの歌が眼をひく
【違星青年】
昭和4年4月10日、金田一京助が東京日日新聞に「違星青年」を掲載。bit.ly/SNKplP
【小樽新聞4/25】
木芽伸一
亡んでくアイヌのひとりの彼もまたさびしく病んで死んでいつたか
泣きくれる北斗の妻子のおもはれてさびしくきいてる今宵の吹雪よ
【昭和4年6月9日】
北斗の親友であり、いとこでもあった中里篤治(凸天)が結核でなくなります。
【遺稿集】
昭和5年5月、古田謙二(山上草人)の手により、ボストンバッグの中に入っていた遺稿が整理され、東京の希望社から遺稿集『コタン』が出版されます。
【バチラー八重子】
バチラー八重子が、北斗の墓に参り、追悼の歌を詠みました。
墓に来て 友になにをか 語りなむ 言の葉もなき 秋の夕暮れ ――逝きし違星北斗氏
【コタンに泣く】
昭和5年8月希望社の雑誌『大道』に後藤静香の追悼記事「コタンに泣く」が掲載されました。bit.ly/SNMgHf
【違星青年を惜む】
昭和5年8月、国柱会の新聞に「違星青年を惜む」が掲載されました。bit.ly/VzmWmU
【同族のための熱の歌】
昭和5年8月、北海タイムズに北斗の追悼記事「同族のための熱の歌」が掲載されました。bit.ly/Vzn85I
【コタンを読む】
昭和5年9月27日、小樽新聞に「違星北斗遺稿 コタンを読む」が掲載されました。
この中には、北斗が生前、「同族と共に広くギリヤーク、オロッチョン俗の解放運動へ奮起すべき念願を蔵していた」という記述もありました。
【春の若草】
昭和8年1月発行『ウタリの友』に、北斗の遺稿「春の若草」が収録されました。bit.ly/Vzow8b
【森竹竹市】
昭和12年、森竹竹市『原始林』
こんな時「北斗」が生きて居たならと 沁々思ふ―― 一人夜更けに
【民族】
昭和15年11月、北斗と生前親交があった作家・山中峯太郎の小説『民族』が発行されました。
この中には、北斗をモデルにした「ヰボシ」という青年が登場します。
昭和22年には悲劇的だった結末を描き直した『コタンの娘』が刊行されます。
【泣血】
阿部忍による小説「泣血」が「駒澤文壇」などで発表されました。
これは、違星北斗を主人公にした長編小説です。
【違星北斗の会】
昭和29年8月、木呂子敏彦の呼びかけにより「違星北斗会」が結成され、「違星北斗遺稿集」が刊行。
同誌にて「違星北斗歌碑」の建設をよびかけました。
歌碑は二風谷に建設が進められましたが、諸般の事情により中断しましたが、萱野茂さんの尽力で昭和43年に完成しました。
【ラジオドラマ】
昭和30年3月、NHK札幌放送局にて、違星北斗のラジオドラマが放送されました。
この実現には違星北斗の会の木呂子敏彦の働きかけがあり実現したそうです。
【アイヌの歌人】
昭和38年9月、湯本喜作『アイヌの歌人』が刊行されました。
これは、バチラー八重子、違星北斗、森竹竹市の3人のアイヌの歌人を紹介したものです。
【うた詠み】
昭和42年2月、向井豊昭が短編小説「うた詠み」を「文學界」に掲載。
この中で北斗のことが語られています。
【違星北斗の歌と生涯】
昭和42年10月、早川勝美「違星北斗の歌と生涯」が山音48号に掲載されました。
【遺稿集コタン】
昭和47年、新人物往来社「近代民衆の記録」に『コタン』が収録されました。
その後、昭和59年に草風館から『違星北斗遺稿 コタン』が刊行、平成7年に増補版が刊行されました。
【北海道新聞】
平成29(2017)年11月25日 北海道新聞の「ミンタラ」《先人たちの物語 シンリッオルッペ》という記事で違星北斗が取り上げられました。
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