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2018年11月29日 (木)

秋田雨雀日記

秋田雨雀日記

北斗が東京にいた大正14年12月13日の日記。

「夕方アイヌ人の選里(千里)君がきたので、夜まで話した。やはり大和民族にたいする怒りを持っているようだ」

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この「選里」は「違星」の読み間違いではないかと。

(編者は「千里」としていて、「知里真志保」に比定しようとしているのかも知れないが、

真志保はまだ室蘭中学の学生であり、東京にはいない)
   
秋田雨雀日記は、秋田雨雀記念館に行けば、手書きのもの見れるのかな。

それにしても、手書きの原稿(特に本人が校正できない遺稿)を編集者や印刷工が活字にするときに間違いが生じることがいかに多いことか。
 

ちなみに、

「赤い鳥」の創刊メンバーであり、詩人・童話作家・作詞家・戯曲家として活躍した秋田雨雀。

秋田雨雀の日記には、近代演劇界の黎明期も、エスペランティストたちの姿も、有名な社会主義者たちの姿も描かれている。

時代の空気なのだろう。

特に、Kとイニシアルで語られる片山潜や、小林多喜二の死なども日記に登場し、

そして自らも特高に何度も拘束されている。

北斗の知人もたくさん登場する。

金田一京助、柳田国男、そして、街頭マンドリン詩人・永井叔。

秋田雨雀は(北斗に出会う前の大正13年)「アイヌの滅亡」「悲しみのオキクルミ」という戯曲を書いている。

どのような内容かは確認してみたいと思う。

 

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