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2019年1月

2019年1月19日 (土)

メモ 大正14年ノート 時系列データ 

メモ 大正14年ノート 時系列データ(年表に反映するべきもの)

9月3日(木) 表紙の日付 ノート使い始め

9月5日(土) 表2の日付(四谷区三光町四六 財団法人東京府市場協会内 違星北斗

9月5日(土) P60 『南島研究の現状』法学士 柳田国男

9月6日(日) P63 国柱会『帝大教授 みのべ竜吉(美濃部達吉?)について』

9月6日(日)P107 【金】給料日 40.00円/預金5.00円/靴墨 35/残 15/昼食 20銭/電車賃15/岩瀬様へ 13.00円/〃 2.00円/晩食 10/〃 15

9月7日(月)P107 【金】会費 5.13/昼食 30/氷水 10/シュウス 2.8

9月8日(火)P19 牛込歌倶楽坂倶楽部 月、萩、通題8句

9月8日(火)P106 【金】昼食 25/万年筆ペン先 120/にひはり会費 40/電車賃 15/クリーム 25/そば 15

9月9日(水) P64 市民講座

P64 『経済学』法学士 小林丑五郎
P66 『哲学概論』北吟吉

9月9日(水) 

「(上野より帰りしな 電車内)
静かではあるが平和な祈ではないか
沈黙の力強さ…いたいたしくもあり雄々しくもあり おゝ尊いではないか。
わたしたちの子供の時代、またその次の時代、が来たとき、ぶちのめされた民族
が、こんなに勇敢に立ち上がったことを自慢に語ってきかせたい。この立派な民
族をつくりあげたのは俺たちであると言ってきかせたいではないか。この義務と
責任を負せられた大正のアイヌは人々の光栄としてうらやむことだと思う」

9月9日(水)P106 【金】朝食 20/昼食 25/ヨウジ サック 13/電車 15/晩食(上野にて) 24

9月10日(木)P108 【金】朝食 14/昼食 20/〃 24

9月11日(金)P108 【金】朝 10/(高 300)

9月12日(土)P108 【金】下駄履 25/食 60/インク 35

9月13日(日)P69 (国柱会)天業青年団講演会『思想と生活』政治経済主任 田村益喜

9月13日(日)P108 【金】電車 30/食事 20、32、27/省線電車 26/? 20

9月14日(月)P54 淀橋医院 伊藤保士医師

「幸福は骨折った後にこそ感るもの 不幸は絶対の不幸にあらず コレラの予防注射はコレラ菌を注入する也り こんな事は余り面白いことではない 然に■或時は■■来し事もあったりするのに なぜ それをするか これは これだけの注射でコレラに罹らぬと云ふ後の幸福があるからである」

9月14日(月)P108 【金】食 10、20,20

9月15日(火)P51

「独断をさけてゐる批評こそ実に尊い それが心理の独断である 否 断案である」

9月15日(火)P108 【金】? 50

9月16日(水) P70 市民講座

P70 『経済学』法学士 小林丑五郎
P71 『現代の世相』東京府人事相談所主任 法学士 番正雄

9月16日(水)P108 【金】はがき 20枚/

 P109 【金】石ケン 40/はみがき12(別日の可能性あり)

9月18日(金)P55 松宮春一郎

「人間の在ることをのみを考いて……人類の亡びてしまっても 世界はかいてんすてゐるであろ 人間を主として 考るか 心を主として考いるか 宇宙には絶対力――対しない! 絶対の前に服従する(松宮)  悖りたる時 すなわち 悖らないかもしれないのである」

9月19日(土)P56 「善悪の定義も又然り!!」

9月21日(月)P57 「山岸先生奥様へお手紙を出した 大沼へ手紙を出そうか?」

9月23日(水) P71 市民講座『経済学』法学士 小林丑五郎

9月23日(水)P109 【金】食事 24,50/電車 30/雑誌 80、30

9月24日(木) 松宮春一郎

9月24日(木)P109 【金】替■ 5.00/食事 40/省線 25

9月25日(金)P57 市原先生 「手の研究」

9月25日(木)P109 【金】食事 24/床屋 50

9月26日(土) P48-49

「今手紙をみた「違君 残念だ 僕達はどう■だめだから せめて君ばかりでも偉い者に成ってくれ 僕の分も勉強して~」と 杉本君よ もったいないよ そんなに期待してくれるな 違星を 本当に(君が)みたらがっかりするであらふよ 喜一君 僕にのみ期待するは無理だ」「皆が僕にのみ待つは無理だ 僕だけの人間が どうしてアイヌの代表が出来やうか? 君達が偉くならなかったら だめでせうに」

9月26日(土)P109 【金】○○ 26/はがき 30

P110 【金】電車 30/仏■ 100/絵葉書 25

9月27日(土)P59 淀橋医院 伊藤保士医師「基督教神観図表」

9月28日(月) P72 国柱会『大なる哉聖徳』山川伝之助
P73 『御製講演』田中智学

9月28日(月)「自然を尊んで自然に倣ふ 然して自然に遠ざかるの矛盾をしでかし」

9月28日(月) P49

「髭の薄しい男は大切に髭をたて こき者は妙に顔を苦にする それが人間性よ

 こいても 悪るい うし(す)くても悪。ちょうど良い処は結局ない

 これが人情で 千差万別が 折合ふのが そこであらう その 常に反対の苦が かち会わところであらう さうだ 人間だよ」

「やせたるもの 肥えやうとし 肥たる者やせ様とする」

9月28日(月)P110 【金】? 57

9月29日(火) 『御製』巴学 (P74)

9月29日(火)P110 【金】? 20、14

9月30 日(水) 市民講座『経済学』法学士 小林丑五郎 (P75-77)

9月30日(水)P46 

「人間て云ふものは なさけないものである。わからない 人間の本心程 あてにならない ものはない 普遍の真理の中で普遍動■してゐる 形のない宇宙で 形のない動きをしてゐる 又た形のなかで 形の動きをしてゐる

 元始人には空気が気が附いてゐたであらうか。

現代人はやうやく空気を つかむだ 然し 無限を まだ つかまないでは あるまいか」

9月30日(水) 「冷き北斗」

10月2日(金)P29 (旧十五夜)称好塾 中野亨君 佐原君

10月6日(火)P111 【金】林檎 380

10月7日(水)P111 【金】賄料 222/写真料 120,80/床屋 30/便箋 下駄の鼻緒 30/電車と食料 60

10月8日(木)P111 【金】電報 130

10月9日(金)P111 【金】傘 150

10月10日(土)P112 【金】中里君上京 写真 200、325/どんぐり会費 40/食事 70/電車 50/足袋 50/靴修繕 200/? 50

10月14 日(月) P89 金田一京助(成宗)

「幸福は人生の目的でない。自己の完成に努力すること

 信仰も自己の完成を土台にしたらよいだらう。

 幸福は人生の目的の一部分であって全部でない 幸福はあらてなものであり また 必要もある 汽船を動かし 石炭である 石炭は必要であると同じ様なもの」

10月18日(日)P112 【金】林檎運賃 128/床屋 50/電車 55/食 20

10月24日(土)P30 「冷き空に北斗あり旅の宿」「朝寒を鋸切の音コシリコシリ哉」

10月24日(土)P88 松宮先生

「物事は 心配すること 考いなければならないこと とを一所にしてはいけない 心配な時の考は健全な考いでない」

10月25日(日)P113 【金】奥様 10.00円/勇治くんへ 9.00、5.00/奈良先生奥様へ 盆 80/岩瀬様より サツマ芋6ケ ■■■¥40、里〃2■〃

10月31日(土)「天長節奉祝講演会」
P40『日本人の宗教生活と生祠の信仰』 文学士 加藤玄智
P41『法国の冥合』大僧正 本田(多)日生
P42『我国体の特長』文学士 井上哲次郎

11月3日(火・祝) P32 「明治聖徳記念学会」
P32 『大邦日本の理想』文学士 大川周明
P33『宗教的方面より見たる台湾の民族性』 文(学士)丸井圭次郎
P34『現代的神社』今岡信一郎

11月3日(火・祝)P42
「祖先崇拝は大生命の自覚であつたとしたら
私しの祖先崇拝は大日本の天照大神より
アイヌのエカシの崇拝が重要ではないか」

11月4日(水)P35 市民講座『日本文化史』帝大史料編纂室 中村孝也

11月5日(木)P88 市原先生

「神に支配されてゐる人間は煩悶すべからざる物也。人間は人間と達することは方便でもよい」

11月5日(木)P88 佐藤了翁

「貧困で失廃したものはなし 只だ色慾に失廃するものなんぞ多きや それ昔よりの偉人傑士成功不成功はそれならず 逆境で失廃せず 順境に於いてのみ」

11月20日(金)木村洋品店で19.00円。 

日時不明(水?)市民講座『日本文化史』帝大史料編纂室 中村孝也 (P78-82)

日時不明 『仏教の根本』駒沢大学教授 今津洪嶽 (P83-86)

2019年1月 5日 (土)

『アイヌの姿』


後藤先生

 どういふ風に書いたら今のアイヌに歓迎されるかと云ふことは朧げながら私は知ってゐます。にもかゝはらず本文は悉くアイヌを不快がらせてゐます。
 私は心ひそかにこれを痛快がってゐると同時に、悲痛な事に感じて居ります。これは今のアイヌの痛いところを可成り露骨にやっつけてゐるからであります。若しアイヌの精神生活を御存じない御仁が之を御覧になられたら、違星は不思議なことを言ふものかなと思召されることでせう。殊にコタン吟の「同化への過渡期」なぞに至っては益々この感を深うすることでせう。アイヌを愛して下さる先生にかやうなことを明るみであばくことは本当に恥しいことであります。けれどもアイヌの良いところも(もしあったとしたら)亦悪いところも皆んな知って頂きたい願から拙文をもってアイヌの姿(のつもりで)を正直に書きました。なるべくよそ様へは見せたくはありません。それは歓迎されないからではありません。ナゼ私は私さへも不快な事実を表白せねばならないか。その「ねばならぬ」ことを悲しむからです。只々私の目のつけどころ(ねらひどころ)だけを御汲みわけ下さい。

 永劫かくやと思わせた千古の大森林、熊笹茂る山野、はまなしの花さき競ふ砂丘も、原始の衣を脱いで百年。見よ、山は畑地に野は水田に神秘の渓流は発電所に化して、鉄路は伸びる。巨船はふえる、大厦高楼は櫛の歯のやうに並ぶ。
 かうして二十世期の文明は北海道開拓の地図を彩色し尽した。嗚呼、皇国の隆盛を誰か讃仰せぬ者あらう。長足の進歩! その足跡の如何に雄々しき事よ。
 されど北海の宝庫ひらかれて以来、悲しき歩みを続けて来た亡びる民族の姿を見たか……野原がコタン(村)になり、コタンがシャモの村になり、村が町になった時、そこに居られなくなった…………、保護と云ふ美名に拘束され、自由の天地を失って忠実な奴隷を余儀なくされたアイヌ…………、腑果斐なきアイヌの姿を見たとき我ながら痛ましき悲劇である。ひいては皇国の恥辱である。
 アイヌ! あゝなんと云ふ冷かな言葉であらう。誰がこの概念を与へたであらう。言葉本来の意義は遠くに忘れられて、只残る何かの代名詞になってゐるのはシャモの悪戯であらうか。アイヌ自身には負ふべき責は少しもなかったであらうか? 内省せねばならぬことを痛切に感ずるのである。
 私は小学生時代同級の誰彼に、さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生々活をしたと云ふ理由は、簡単明瞭「アイヌなるが故に」であった。現在でもアイヌは社会的まゝ子であって不自然な雰囲気に包まれてゐるのは遺憾である。然るにアイヌの多くは自覚してゐないで、ただの擯斥や差別からのがれようとしていてのがれ得ないでゐる。即ち悪人が善人になるには悔あらためればよいのであるが、アイヌがシャモになるには血の問題であり時間の問題であるだけ容易でないのである。こゝに於て前科者よりも悪人よりも不幸であるかの様に嘆ずるものもある。近頃のアイヌはシャモへシャモへと模倣追従を事としてゐる徒輩がまた続出して、某はアイヌでありながらアイヌを秘すべく北海道を飛び出し某方面でシャモ化して活躍してゐたり、某は○○○○学校で教鞭をとってゐながら、シャモに扮してゐる等々憫むべきか悲しむべきかの成功者がある。これらの贋シャモ共は果して幸福に陶酔してゐるであらうか? 否ニセモノの正体は決して羨むべきものではない。先ず己がアイヌをかくしてることを自責する。世間から疑はれるか、化けの皮をはがれる。其の度毎に矛盾と悲哀のどん底に落つるか、世をはかなみ人を恨む。此の道をたどった人の到達の点如何に悲惨であるかは説明するまでもないことである。吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的でない。いわんやニセモノにおいてをやである。
 けれども悲しむべし。アイヌは己が安住の社会をシャモに求めつゝ優秀な者から先をあらそうてシャモ化してしまふ。その抜け殻が今の「アイヌ」の称を独占しているのだ! 今後益々この現象が甚しくなるのではあるまいか? 優生学的に社会に立遅れた劣敗者がアイヌの標本として残るのではあるまいか?
 昔のアイヌは強かった。然るに目前のアイヌは弱い。現代の社会及び学会では此の劣等アイヌを「原始的」だと前提して太古のアイヌを評価しようとしてゐる。けれども今のアイヌは既に古代のアイヌにさかのぼりうる梯子の用を達し得ないことを諸君と共に悲しまねばならぬ。
 アイヌはシャモの優越感に圧倒されがちである。弱いからだと云ってしまへばそれまでであるが、可成り神経過敏になってゐる。耳朶を破って心臓に高鳴る言葉が「アイヌ」である。言語どころか「アイヌ」と書かれた文字にさへハッと驚いて見とがめるであらう。吾人はこの態度の可否は別問題として、かゝる気づかひを起こさしめた(無意識的に平素から神経を鋭くさしてゐる程重大な根本的欲求の)その第一義は何であらう? ―――アイヌでありたくない―――と云ふのではない。―――シャモになりたい―――と云ふのでもない。然らば何か「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。適切に云ふならば「日本臣民として生きたい願望」であるのである。
 此の欲求をはき違へたり、燃ゆる願をアイヌ卑下の立場にさらしたことを憫れむのである。
 同化の過渡期にあるアイヌは嘲笑侮蔑も忍び、冷酷に外人扱ひにされてもシャモを憎めないでゐる。恨とするよりも尚一層シャモへ憧憬してゐるとは悲痛ではないか。併しながら吾人はその表現がたとひ誤多しとしても、彼等が衷心の大要求までを無視しようとするのでは毛頭ない。アイヌには乃木将軍も居なかった。大西郷もアイヌにはなかった。一人の偉人をも出してゐないことは限りなく残念である。されど吾人は失望しない。せめてもの誇りは不逞アイヌの一人もなかった事だ。今にアイヌは衷心の欲求にめざめる時期をほゝ笑んで待つものである。
「水の貴きは水なるが為めであり、火の貴きは火なるが為めである」(権威)*1
 そこに存在の意義がある。鮮人が鮮人で貴い。アイヌはアイヌで自覚する。シャモはシャモで覚醒する様に、民族が各々個性に向って伸びて行く為に尊敬するならば、宇宙人類はまさに壮観を呈するであろう。嗚呼我等の理想はまだ遠きか。
 シャモに隠れて姑息な安逸をむさぼるより、人類生活の正しい発展に寄与せねばならぬ。民族をあげて奮起すべき秋は来た。今こそ正々堂々「吾れアイヌ也」と呼べよ。
 たとい祖先は恥しきものであってもなくっても、割が悪いとか都合がよいとか云ふ問題ではない。必然表白せないでは居られないからだ。
 吾アイヌ! そこに何の気遅れがあらう。奮起して叫んだこの声の底には先住民族の誇まで潜んでゐるのである。この誇をなげうつの愚を敢てしてはいかぬ。不合理なる侮蔑の社会的概念を一蹴して、民族としての純真を発揮せよ。公正偉大なる大日本の国本に生きんとする白熱の至情が爆発して「吾れアイヌ也」と絶叫するのだ。
 見よ、またゝく星と月かげに幾千年の変遷や原始の姿が映ってゐる。山の名、川の名、村の名を静かに朗咏するときに、そこにはアイヌの声が残った。然り、人間の誇は消えない。アイヌは亡びてなくなるものか、違星北斗はアイヌだ。今こそはっきり斯く言ひ得るが…………反省し瞑想し、来るべきアイヌの姿を凝視みつめるのである。
(二五八七・七・二)


※ 95年版『コタン』より
*1 引用されている文章は後藤静香の『権威』所収の「女性」の一部である。

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