ヨイチの乙名の流れ
【江戸時代の余市アイヌの乙名】
………………「シャクシャインの戦い」………………………………
1669(寛文9)
(総大将)八郎左衛門(八郎右衛門、ヤエモン)▲
(大将)ケフラケ(チクラケ、ケクラケ)●
(大将)ウヘレチ
(大将)サノカヘイン
(モイレ大将)キイヤタ▲
※以下▲は八郎左衛門の家系、●はケフラケの家系を指す。
………………デタラハコエ・ニヨンシクル時代………………
(上ヨイチ 惣乙名/脇乙名 // 下ヨイチ 惣乙名/脇乙名)
1786(天明6)
センタイ●
1792(寛政4)
デタラハコエ / ベンタイ● // ニヨンシクル
………………イコンヌル・サケシュス 時代………………
1807(文化 4)
イコンヌル / センダイ● // サケシン / イトムコツ
1817(文化14)
イコンヌル / センダイ● // サケシュス / イトムコツ
………………イコンノミ・サケシュス 時代………………
1822(文政 5)
イコンノミ / カシタヰ // サケシュシ / イナヲリ
1828(文政11)
イコンノミ / イタキサン■ // サケシュマス / イナヲリ
……………… トレンシュス・サケシュス 時代 ………………
1830(天保1)
トレンシュス / イタキサン■ // サケシュス / イナヲリ
……………… イコンノミ・サケシュス 時代II ………………
1838(天保 9)
イコンノミ / イタキサン■ // サケシュツ / イナヲリ
※30年以上、下ヨイチの惣乙名を務めたサケシュスが退く。
……………… ヲシトンコツ 時代 ………………
※上ヨイチ・下ヨイチそれぞれに惣乙名と脇乙名がいる時代は終わる。
(惣乙名 / 脇乙名 / 脇乙名)
1840(天保11)
ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / 子トハケ
1844(天保14)
ヲシトンコツ▲ / / イコンリキ★
1852(嘉永 5)
ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンレキ★
1855(安政 2)
ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★
1857(安政 4)
ヲシソンコツ▲ / イタキサン■ / イコンリキ★
……………… 総乙名不在の時代 ………………
1859(安政 6)
/ イタキサン■ / イコンリキ★
1862(文久 2)
/ イタキサン■ / イコンリキ★
1867(慶応3)
ヲシトンコツ▲ / イタキサン■ / イネアンヘ
※1867(慶応3)にヲシトンコツの名があるが、安政6年の「ヨイチ場所蝦夷人名前書」に「故ヲシトンコツ」とあり、この時点では亡くなっていることがわかる。
……………… ヨイチ最後の乙名………………
1870(明治3)
留左衛門▲ / イコンリキ★ / イネアンヘ
※★は違星家の祖
■は中里徳太郎・篤治、および甚作(北斗の父)の祖
※名前には表記のゆれがある。
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