《時系列でたどるシトナイ伝説》
ツイッターで書いたことですが、見にくいので、こちらに再度UPします。
※だいたいは、ヤオさんの調査を元にしています。こちらも併せてごらんください。
《時系列でたどるシトナイ伝説》
★まず「白龍伝説」があった
もともと小樽の祝津にある赤岩という山に、白龍が住むという伝説があった。
明治ごろ。龍というくらいだから、和人を中心としたものだっただろう。
●明治初期
「明治初期、修行僧が洞窟に篭もって修行をしていた際に、天に昇る白龍を見た」という伝承あり。
https://t.co/1g29gwqfVJ?amp=1
●明治9年 「玄武丸事件」
開拓史長官黒田清隆が軍艦・玄武丸の艦上で酒に酔っ払い、玄武丸の大砲を、小樽の祝津の赤岩に向けて撃った。
運悪く祝津の民家に当たり、一人の少女が亡くなった。(史実)
→その際、なぜ黒田が祝津の赤岩山に向けて、大砲を撃ったかには諸説あるが、
そのうち一つが、 酔った黒田が
「海難事故を起こす龍だと? 迷信を打破してくれる」
と大砲を撃ったという噂がある。(都市伝説レベル)。
ということで、もともと小樽祝津の赤岩には、遅くとも明治時代の初期には、
単独の(シトナイ伝説を伴わない)「白龍伝説」があったことがわかる。
★シトナイ神話の創造へ
シトナイ伝説の「元ネタ」は中国の伝説。
●大正11年(1922)松井等『伝説之支那』収録の「妖蛇」
国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970310/21
「妖蛇」は中国の「捜神記」の一編で、それの日本語訳。
【舞台】東越の庸嶺という高山の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし
【父】李誕
【住居】将楽県
【同行者】蛇を食う犬
【武器】剣
【大蛇に与えた食物】甘い餅
★中国の古典から和人の手によって「アイヌの伝説」に
●大正13年(1924)青木純二『アイヌの伝説と其情話』収録の「大蛇を殺した娘」
上記「妖蛇」の換骨奪胎(コピペ)です。新聞記者・青木純二の手によるもの。
(発見者 ヤオさん https://twitter.com/kiyamashina/status/1267614518143664128?s=20 )
まだ、シトナイの名は登場しない。
【舞台】小樽手宮の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし(シトナイの名前なし)
【父】イワナイの酋長【住居】イワナイ
【同行者】蛇を食う犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉
※そもそも羊が北海道に輸入されたのは明治10年頃(ヤオさん)
※単にストーリーを参考にした程度の換骨奪胎ではなく、固有名詞を変えただけの完全なコピペ。
どうやっても、「偶然の一致」とは言い逃れができないほど、完全に一致。
たとえば、娘が大蛇を倒した後、先に生け贄になった9人の娘達の髑髏(ドクロ)に向かって
「いかに女の身なればとて、気の毒にも大蛇に喰われるとは、弱いにも程があります」
といったセリフまで全く(一字一句)同じである。
まさに完コピ。
(……舞台設定にも難があって、イワナイが仮に現・岩内町だとすると、積丹半島の反対側です。
直線距離で60キロ。違う生活圏でしょう。いくらなんでも遠すぎる気がしますね。)
この青木のコピペ伝説から、さらに尾鰭がついていく。
舞台は小樽の手宮から、祝津の赤岩山へ移動。
中国の伝説からパクった偽の伝説が、元からあった白龍伝説と関連付けられていく。
(シトナイ伝説を中国の説話からパクった青木純二は、有名な阿寒湖の「恋マリモ伝説」も、
他人の創作童話を自分が収集した伝説として『アイヌの伝説の其情話』に収録したようだ。
そして、その「マリモ伝説」はアイヌの伝説として広まってしまった。
青木は創作を基にした「神話伝説の捏造」を常習的に行っていたのだろう)
http://tonmanaangler.hatenablog.com/entry/20170824/1503577778
★シトナイ登場!
●昭和7年(1932)『北海道郷土史研究』(日本放送協会)収録の橋本堯尚「小樽の昔噺」
(この本はNHKのラジオ番組を本にしたもののようだ)。
【舞台】小樽の北西一里、祝津の海岸の赤岩山
【祭りの供物】熊と鹿の肉
【主人公】9人姉妹の末っ子、シトナイ
【父】ウヘレチ
【住居】余市
【同行者】愛犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉
シトナイの名が登場。
「シトナイ」は幕末から明治に実在した小樽クッタルシコタンの乙名(指導者)の名。このシトナイは男性。→こちら
無名の乙女のキャラクターに実在の男性「シトナイ」の名をつけたのは橋本堯尚なのか、その前に誰か別の人物が命名し、橋本がそれを踏襲したのかは不明。
「白蛇退治の乙女を最初にシトナイと名付けたのは誰か」は、この時代の関連資料を調べてみなければならないだろう。
場所も小樽手宮から約4キロ北の「白龍大権現」のある赤岩山に変更されている。
シトナイの居住地は余市に変更。
(21キロと、これもけっこう遠い。
余市アイヌの領域の境界はフゴッペ岬で、蘭島は蘭島アイヌの領域だったので、そのはるか向こうの赤岩山は余市アイヌの生活圏の外だろう)。
※父の名「ウヘレチ」はシャクシャインの戦いの時のヨイチの5人の乙名のうちの1人の名前。
同書別エピソードにも、「ケフラケ」という、同じくシャクシャインの戦いの時の乙名の名前が出てくる。
※「ウヘレチ」「ケフラケ」は「シャクシャインの戦い」という、比較的よく知られた歴史上の出来事に登場する、ヨイチアイヌの乙名(指導者)の名前から命名したと思われる。
※1669年のシャクシャインの戦いの当時のヨイチアイヌについては、集団としての動き以外は、乙名の名前ぐらいしか残っていない。もちろん、ウヘレチやケフラケが白蛇と関係したという記録は残っていない。
★北海道庁の編纂した本にパクリ伝説が載ってしまう
●昭和15年(1940)『北海道の口碑伝説』(北海道庁編/日本教育出版社)「大蛇を殺した娘」(小樽市役所調べ)
北海道庁編集の本であり、各地の市役所が資料提供を行ったようだ。
【舞台】小樽手宮の北西の裂け目
【祭りの供物】牛羊
【主人公】6人姉妹の1人。名前なし(シトナイの名なし)
【父】イワナイの酋長【住居】イワナイ
【同行者】蛇を食う犬
【武器】マキリ
【大蛇に与えた食物】鹿肉
内容は大正13年の青木の「大蛇を殺した娘」とほぼ同じ。
北海道庁から依頼を受けた小樽市役所の役人が、青木の本を(デタラメと知らず)引き写して(もしくは、青木の本そのものを) 提出したようだ。
つまり、青木純二という新聞記者が中国の説話をパクった物語が、
北海道庁に「お墨付き」を受けてしまったことになる。
デタラメな伝説が「アイヌ伝説」として北海道庁の編纂した本に載ってしまい、
公的な伝説になってしまったといえる。
※「創作伝説が当時のアイヌの人々に信じられていたのであれば、アイヌの神話でいいのでは?」という意見があるが、アイヌの人々がそれを信じていたことはないだろう。
シトナイの住んでいたといわれる余市にはそんな伝説は残っていないし、小樽のアイヌコタン(クッタルシコタン)は、明治13年に行政によって、和人の市街地造成のため、強制的に立ち退かされ、アイヌの人々は他の地域に強制移住させられている。当時、小樽にはコタンの痕跡はほぼなく、和人の目に見えるような(訪ねたり、聞き取りや相談ができるような)形でのアイヌコミュニティは存在しなかったと思われる。
あくまで青木の捏造した「神話」が和人の間でテキストとして流布していったのであろう。
(ゴールデンカムイでは小樽にアイヌコタンがあるように描かれているが、あれはフィクションであり、コタンの習俗や言葉などの文化は他の地方の文化を参考にしている 「野田サトルのブログ」 )。
● 昭和22年(1947)赤岩山白龍神社 建立。
白龍権現とともに、明治の初めより和人の信仰を集めていた「白龍」の伝説。
そこに新たに大正時代に和人の新聞記者によって創造された「シトナイ」という女性英雄の伝説が「アイヌの伝説」として加わり、
その「虚像」が今、多くの人に「アイヌの英雄」として周知されようとしているわけです。
自分としては、「遊び手」の方には何も言うことはありません。
「作り手」の側には、もう少しちゃんと調べてほしい。
センシティブな国内の先住民族文化を題材を扱うときには、漫画やアニメならちゃんと専門家の意見を聞くのに、ゲームでは、なぜそれができないのか。そういうというところは、作り手に対して大いに不満があります。
個人的には、シトナイの設定の出典を、明らかな間違いである「アイヌの神話」ではなく、「北海道の伝説」あたりにすれば、とりあえずはいいのかな、と思いますが。あくまで、個人的な考えです。
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コメント
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めちゃくちゃ分かりやすいです!
北海道庁の資料に載っていたのはそういう理由があったからなんですね
しかし青木さんの書いた出鱈目がここまで影響を与えるとは…
案外公的機関の資料もあてにならない物ですね
投稿: なな | 2020年6月 7日 (日) 21時05分
バナナ型神話並みのコピペ?
投稿: | 2020年7月13日 (月) 14時35分