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2020年9月

2020年9月26日 (土)

「称好塾」の句会

違星北斗の東京時代のノートに「称好塾」の句会に出たという記録がある。この「称好塾」は国粋主義者の杉浦重剛の私塾と同じ名。北斗が訪れたのは杉原の死後の大正14年の10月。北斗は中野亨という人物と会っているが、同名の人物が『天台道士語録』という杉浦の語録を出しているので、同じ塾だろう。

 

この中野亨は『杉浦重剛座談録』の編者で晩年の杉浦弟子中野刀水と同一人物かも知れない。
東京時代には北斗と国粋主義との接近は国柱会などでも見られるが、結局「和人は皇祖神天照大神を崇拝するならば、アイヌである自分はエカシの信仰を大事にするべきだ」と気付きを得て、北海道に戻ってゆく。

 

「祖先崇拝(敬?)は大生命の自覚であったとしたならば、私の祖先崇拝は大日本の天照大神をより、アイヌのエカシの崇拝が重要ではないか」「祖先崇拝したら叛けと云う教ではないか」

画像

これは大川周明の講演を聞いたあとの感想。北斗は東京に知識を得にきただけではなく、自ら「名刺狂」「名士狂」というほど、名士の名刺を持って新たな著名人を紹介してもらい、アイヌ復興のための「ロビー活動」していたようなところがある。当時の実力者に会おうとすると、当然ながら国士も多くなる。

 

2020年9月15日 (火)

余市町史

北斗のこと書いてるのですが、最強の資料が届いた。余市町史。
わかりやすくて視点がフラットなスタンスでよいです。
小冊子は余市アイヌのイキシュ(ストライキ)について。
町史担当の方より「おそらくご興味あるのでは」とご恵贈いただきました。
その通りです。
幕末の余市アイヌの労働争議(ストライキ)は北斗の祖父の1人、イタキサンが大きく関わっているので、2回後の記事でとりあげるつもりでした。
よくある(古い)地域史だと、「日本書紀にあるこの記述はウチのことに相違ない」みたいな郷土史家の郷土愛による牽強付会に近いようなものが、地域の教育委員会の出してる本に正史みたいに載ってたりするのですが、この余市町史はどこに出しても恥ずかしくない、とてもよい本ですね。
ただ、購入方法が現金書留で郵便局に行くのが面倒なので二の足を踏んでたのですが、早く買うべきでした。
余市を通して先史時代から現在までの北海道の歴史がわかりやすく書かれています。また、余市にはアイヌと和人との関係を示す江戸時代の漁場の記録(林家文書)が残っているので、そのあたりの記述も多く、オススメです。

2020年9月11日 (金)

アイヌ新聞4号 高橋真(1946年4月21日)

アイヌ新聞4号 高橋真(1946年4月21日)

アイヌ偉人烈伝(その三)

熱血の違星瀧次郎氏
余市アイヌが久遠に誇り得る偉人「違星滝次郎氏」の名は全道アイヌの心に深く刻まれねばならぬ。「アイヌは見世物にされる、そして悪い和人のために欺され亡びてゐる。一体これでよいのか?」熱血児滝次郎の心は何時もこの心で一ぱいであった。或時は日高、胆振のあちこちに、或る時釧路のコタンに、また或る時は十勝のウタリーに「アイヌよめざめろ!!」と力の限り叫んだ。けれども同族からさめ様ともしなかった。そして「フヽン余市アイヌが何を云ふ」といふ冷い嘲笑のみが多かった。多感な滝次郎は上京してアイヌを正しく都会人に認識させるために、熱弁を揮った事もあった。アイヌ研究家、ユーカラの権威金田一京助博士にも種々と論難したのも滝次郎で此の同族愛の燃ゆる情熱は多くの人々から愛された。そして高給で市場協会の職員に採用された。然し平凡な和人生活になり切るよりもコタンに帰って、ウタリーの為に世の荒浪と斗う事とし●然帰郷、手づから「コタン」と云ふ雑誌を刷って同族の啓発に努めたりした。だが生活は何時も苦しかった。一枚のハガキを買ふことも出来ぬ時もあった。加ふるに労働のため体は弱く遂に病床に伏さねばならなかった。「くそ、しぬものか…」だが、昭和5年2月享年30歳で「世の中は何が何だかわからねど死ぬ事だけは確かなり」と詠じて此の世を去った。熱血児、歌人違星氏は「北斗」と称した。

2020年9月 5日 (土)

「違星北斗.com」メンテ

久しぶりに「違星北斗.com」をメンテナンス。大昔adobeのGoliveというソフトで作ったのですが、すでにその環境も失われて久しく、HTMLを思い出しながら。

 

変更個所は 
・トップページ(最新情報)  
iboshihokuto.o.oo7.jp
・違星北斗写真館(北斗少年の写真) 
・違星北斗書画集(追補)
等々。

「違星北斗書画集」追補

違星北斗書画集」ページの更新が難しくなってきたので、こちらに追補ページを作り たいと思います。

 

●北斗の短冊

Hokutotanzaku

「暦無くとも鮭来るときを秋とした

 コタンの昔 思い出される 

            違星北斗」

 

 所蔵者の方からお知らせいただきました。(経緯はこちら)

 http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-aaf8.html

●北斗自筆「コタン吟」の写真

Photo_20200905175601

違星北斗の自筆の短歌、五首。

「コタン吟

         違星北斗

アイヌッと只ひとことが何よりの
 侮蔑となって憤怒に燃る

何ッ!! 糞でも喰らへと剛放に
 どなったあとの淋しい静

正直なアイヌだましたシャモをこそ
 憫れなものと ゆるし此頃

  古平村にて

ウタリーの絶えて久しくふるびらの
 コタンのあとに 心ろひかるゝ

はしたなきアイヌなれども
たぐひなき
國に生れて さへはいを知る」

 

 誰に向けて書いたのかはわかりませんが、この短歌5首はいわば、

北斗の心の変化(あるいは複合的に共存)を書いたものかと思われます。

 1)和人への怒り

 2)怒りに囚われることへの淋しさ

 3)卑劣な和人への憐憫と赦し

 4)失われてゆくアイヌの文化への悲しみと憧憬の想い

 5)日本社会の中でアイヌ民族が活躍する場を作り出すため、

   和人と伍して生きるための覚悟と受容

 ただし、北斗にとって5)が到達点ではありませんでしたが。

 

●違星北斗ノートより

 違星北斗の大正14年のノートが、北海道立文学館に所蔵されています。

 東京時代の日記・雑記帳(メモ・創作ノート、住所録・講義録・家計簿)を兼ねたノートです。

Photo_20200905175604

エカシと海。

 

Photo_20200905175603

海で踊る人々。海岸には馬もいます。

 

 

Photo_20200905175602

小曲「冷(つめた)き北斗」の創作メモに、

輝く星と、冬山をゆく「鹿」の姿が描かれています。

1 アイヌモシリの とををい遠い
  むかし こひしの 恋ひじややら

2 光るは涙か? それとも声か?
  澄むほど淋し 大熊 小熊

3 みんなゆめさと わすれてゐても
  雲るも涙 照るさい(え) かなし。

4 北のはてなる チヌカラ カムイ
 冷めたいみそらに まばたいてゐる

小曲「冷たき北斗」についてはこちら

 

Photo_20200905175605

左ページに土器の絵。

右ページは「うってかえし、シンメトリカル(左右配列)、追廻し(巴の紋)、互違い、波状線のうって返し、だいたい骨、括弧体」

とあり、意匠から、アイヌ文様のメモのように思えます。

 

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