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2020年9月11日 (金)

アイヌ新聞4号 高橋真(1946年4月21日)

アイヌ新聞4号 高橋真(1946年4月21日)

アイヌ偉人烈伝(その三)

熱血の違星瀧次郎氏
余市アイヌが久遠に誇り得る偉人「違星滝次郎氏」の名は全道アイヌの心に深く刻まれねばならぬ。「アイヌは見世物にされる、そして悪い和人のために欺され亡びてゐる。一体これでよいのか?」熱血児滝次郎の心は何時もこの心で一ぱいであった。或時は日高、胆振のあちこちに、或る時釧路のコタンに、また或る時は十勝のウタリーに「アイヌよめざめろ!!」と力の限り叫んだ。けれども同族からさめ様ともしなかった。そして「フヽン余市アイヌが何を云ふ」といふ冷い嘲笑のみが多かった。多感な滝次郎は上京してアイヌを正しく都会人に認識させるために、熱弁を揮った事もあった。アイヌ研究家、ユーカラの権威金田一京助博士にも種々と論難したのも滝次郎で此の同族愛の燃ゆる情熱は多くの人々から愛された。そして高給で市場協会の職員に採用された。然し平凡な和人生活になり切るよりもコタンに帰って、ウタリーの為に世の荒浪と斗う事とし●然帰郷、手づから「コタン」と云ふ雑誌を刷って同族の啓発に努めたりした。だが生活は何時も苦しかった。一枚のハガキを買ふことも出来ぬ時もあった。加ふるに労働のため体は弱く遂に病床に伏さねばならなかった。「くそ、しぬものか…」だが、昭和5年2月享年30歳で「世の中は何が何だかわからねど死ぬ事だけは確かなり」と詠じて此の世を去った。熱血児、歌人違星氏は「北斗」と称した。

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