「違星北斗の祖先 余市アイヌの系譜」のお話
明日お昼12:30から、自分の頭の整理のために「違星北斗の祖先 余市アイヌの系譜」のお話をしたいと思います。みなさんが思っているほど、アイヌの歴史はファンタジーでもファジーでもなく、和人とアイヌ社会の関係性、闘争の歴史だということがわかるのではないかと思います。clubhouseです。
もちろん闘争ばかりでもないです。
それから、あくまで余市という小さな地域のお話です。同じ時代でも、地域ごとに状況は違うと思います。
図の家系不明の人の中には実は北斗のご先祖様がいると思います。
この図、シャクシャインの前とか、後とかが時代が飛んでるのはもちろん、和人側の記録がないからであって古代から連綿と続いているわけですね。もちろん「アイヌ民族は鎌倉時代から始まる」みたいな勘違いをしている人がいますが、古代からアイヌ民族の歴史のある時期を「アイヌ文化期」と呼ぶわけで。
ちなみに、他のコタンは存じないのですが、余市コタンの指導者の体制はだいたい乙名(リーダーもしくは調整役)が4人体制なんですよね。
上下ヨイチにそれぞれ惣乙名、脇乙名が2人ずつ。これはシャクシャイン時代から、場所請負制の時代になっても4人体制で、幕末には上下の区別はなくなりますが。惣乙名と脇大人2人の3人体制になるんですね。
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