◆思想・宗教

2008年10月30日 (木)

グーグル書籍検索で「違星北斗」を検索してみた

 グーグルに「書籍検索」というものがあり、アメリカの図書館の蔵書の「中身」が検索できるようになっています。
 アメリカの図書館といっても、英語だけじゃなく、アメリカの図書館の中に所蔵されている「日本語」の本の中身も日本語で検索できるようになっており、結構すごいことになっております。

 私としては当然のことながら、「違星北斗」で検索してみましたところ、いろいろと出てきました。

 ただ、たとえば「違星」と検索しても、その名前の前後の20文字程度しか出てこない、あるいはその本の中に「違星」という言葉が含まれているということしかわからない、といったものですので、結局はその本をどこかで探して読まなければならないのですが。

 また、スキャナで取り込んで、OCR(文字認識ソフト)文字化しているのですが、文字認識の精度が低く、正しく「違星」と認識されている場合もあれば、「連星」「迫星」など、違った文字として読まれてしまっているのもあり、似た文字をいろいろ試しながら、現在、そのリストを作っているところです。

 その作業の中で、ちょっとした発見がありました。

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2008年10月21日 (火)

永劫の象とは

 昭和3年2月29日、違星北斗は幌別で友人の死を知ります。

 二月廿九日 水曜日

 豊年健治君のお墓に参る。堅雪に立てた線香は小雪降る日にもの淋しく匂ふ。帰り道ふり向いて見ると未だ蝋燭の火が二つ明滅して居た。何とはなしに無常の感に打たれる。  
 豊年君は死んで了ったのだ。私達もいつか死ぬんだ。
 一昨年の夏寄せ書した時に君が歌った

    永劫の象に於ける生命の
    迸り出る時の嬉しさ  

 あの歌を思い出す。    

    永劫の象に君は帰りしか
    アシニを撫でて偲ぶ一昨年


 この「永劫の象」とは何か。
 「象」はエレファントの象ではないだろう。かたち、イメージ、イデアの「象」だろう。
 じゃあ、永遠の象とはなんだろう?

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2008年10月11日 (土)

北斗からの手紙(2)大正15年7月8日

さて、2通目の手紙です。

 宛先は「東京市外阿佐ヶ谷町大字成宗三三二
金田一京助先生」、封筒に書かれた日付は大正15年7月8日、差出人は「北海道室蘭線ホロベツ バチラー方 違星滝次郎」とあります。
 
 北斗は大正15年7月5日夜に東京を発ち、7月7日に北海道の幌別に到着しています。その翌日に書かれた手紙です。
 
 これを見ると、北斗は帰道直後、バチラー八重子のいる幌別(現・登別)の聖公会の教会に寄宿したことがわかります。

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2008年8月30日 (土)

一言集

 北斗が、病床で最後まで読んでいたという「一言集」という小冊子を入手。

 後藤静香が格言や警句のような、短い言葉を描いたもので、昭和3年10月発行。非売品で、昭和4年版「心の日記」の付録のようです。

 この昭和3年10月といえば、もう、かなり弱っている頃です。

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2008年8月18日 (月)

春の若草

O先生より、教えて頂きました。

草風館版コタン(95年版)に掲載されている「春の若草」について。

 95年版コタンにおいては、「春の若草」は「ウタリ之友」(バチラー伝道団の機関誌)の創刊号(昭和8年1月20日)に「違星北斗氏遺稿」として掲載されていたものから採られていましたが、初出は「ウタリグス」(同じくバチラー伝道団の機関誌で、「ウタリ之友」前身にあたるもの)の1926(大正15)年8月号に掲載されていたものだそうです。

 なるほど、そう思って読んで見ると、非常に初々しく、力強く、情熱にあふれています。
 7月7日に北海道に戻ってきた北斗は、まず幌別のバチラー八重子の教会へと身を寄せ、7月半ばには平取の教会へと向かいます。
(バチラー八重子はこの時点では平取にはおらず、平取に移るのは翌昭和2年です。岡村国夫神父が教会を、岡村神父の妻で八重子の妹の千代子が幼稚園を取り仕切っていました)。
 まだ、東京から使命感に燃えて戻ってきたばかりの、多感で期待に満ちあふれていた時代の北斗です。自信と情熱に満ちた美しい言葉です。
 この後、現実的な問題にぶちあたることになります。幼稚園の金銭問題や、苛酷な労働から来る疲労、行く先々の同胞の無関心や無理解などに苦しめられるようになります。
 この「春の若草」は、東京を立つ前に書かれた「アイヌの一青年から」の直後のものであり、その一年後に書かれる「アイヌの姿」と3編続けて読むと、その思想の移り変わりがよく見えてくると思います。

2008年8月12日 (火)

資料再読

北斗の全資料を再読しています。
その中で、いくつか発見がありましたので、書き込んでおきます。

(1)「子供の道話」昭和2年1月号に掲載された北斗の手になる童話「世界の創造とねづみ」について。

このお噺は、「清川猪七翁」からの聞き取ったものですが、この清川猪七翁という名前、どこかで見たことがあると思っていたのですが、この方はジョン・バチラーの助手であった「清川戌七」ではないかと思います。

 清川戌七といえば、「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」の中で、ジョン・バチラーや八重子、吉田花子のことを語っている方です。
http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/post_ab90.html

この方は、1874(明治7)年生まれですから、この童話が書かれた大正15年には52歳、北斗から見れば「翁」といっても差し支えない年齢だと思います。

 「文献上のエカシとフチ」(札幌テレビ放送)によると、この方は新冠出身、明治22年新冠でジョン・バチラーと出会い、以後その布教を助けたそうです。
 生活地は平取町荷菜ということなので、北斗が平取教会にいたときに出会ったのでしょう。

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2008年5月 8日 (木)

希望社の雑誌

北斗が生きていた時代の希望社の雑誌がごっそり売りに出ていたので、意を決して購入。

全部93冊だけど、一冊あたりだと100円ちょっと。

①「のぞみ」 希望社

 大正12年 1~11月/大正13年1月、3~12月/大正15年2~7月、9月、11月

 昭和2年1月、5~8月/昭和3年1~12月/昭和4年1~7月、9月、11月

②「希望」 希望社 

 大正11年6~7月/大正12年6~11月/大正13年1~5月  

 大正14年1~4月、8~12月/大正15年2~11月/昭和2年4~5月、7月、9~10月

 昭和3年1~7月

 以前、同じく希望社の「大道」に北斗の追悼記事があったので、期待に胸を躍らせながらとりかかりました。

 数日かけて、ひととおり精読しましたが、北斗に関することは全くでていませんでした。

 非常に、残念です。

 「のぞみ」、「希望」とも修養雑誌ですが、それぞれのターゲットが「のぞみ」は一般読者、「希望」は教育者向けということのようです。

 執筆はほとんど後藤静香一人によるものらしく、格言や古今東西の偉人伝、寓話などが主です。カリスマ的な後藤静香の一人語りです。

 希望社の雑誌には、同じく北斗が愛読していた、西川光二郎・文子夫妻の「自働道話」「子供の道話」のように、読者からのお便りを掲載するといった「双方向性」がほとんどみられません。

 そういうこともあってでしょうが、北斗の痕跡は、今回読んだ「希望」「のぞみ」にはまったく残っていませんでした。北斗は後藤静香とは面識があり、アイヌのことでいろいろ意見交換をしたりしていたようですが、雑誌上においては、北斗は百万読者の一人でしかなかったようです。

(ただ、「大道」が北斗の追悼文を掲載した昭和5年のあたりには、同様の何かがあるかもしれませんし、今回チェックしていないところに掲載されている可能性はないとはいえませんが)。

 同じ修養雑誌でも、「読者参加型」でアットホームな雑誌であった西川光二郎の「自働道話」等と、カリスマ後藤静香のお言葉、いわば「お筆先」を記した希望社の「希望」「のぞみ」等とは、当然ながら棲み分けがあったと思います。

 ただ、共通しているのは、時系列で読んでいくにしたがって、徐々に右傾化していく時代の匂いや勢いが、誌面からもよくわかることでしょうか。

 時代の空気が、そうだった以上、その空気を吸っている北斗をはじめとする善男善女、無辜の人々もまた、その影響を受けざるを得ないのだと思います。

 北斗の右傾化したようにみえる言動について、現代の匂いや色のついた空気の中から、あれやこれや非難するのは簡単ですが、それでは本当の北斗のこと、彼の言葉の意味は何もわからないでしょう。

 北斗が吸っていた空気の色や匂いを知らなくてはいけない。完全とはいえないけれども、その空気を出来る限り知ったつもりになった上で、北斗の言動を見なければならない。

 そんな気がします。

 機会があれば、希望社の雑誌について、もっと読み込んで、何か書いてみたいとも思います。

2008年4月 9日 (水)

『コタン』に泣く(後藤静香)

 後藤静香の希望社の雑誌のうち、北斗関係の記事が載っていそうなものを調べていたら、希望社の雑誌「大道」昭和5年8月号に後藤静香による、北斗追悼の記事を見つけました。

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  『コタン』に泣く

 悦ぶと云う字は活字の無くなるほど使つても、泣くと云う字はめつたに使わない私が、こゝにこんな見出しを書いた。

 実際のところ、余りに大きい問題を背負つて居るので、大抵なことでは泣けない私であり、又久しい間の鍛練で、冷たくなつて、熱い涙など殆ど出さなくなった私ではあるが、『コタン』ではとう/\泣いた。人間の至情に負かされた。

『コタン』はアイヌを以て自ら満足し、之を誇りとし、アイヌを救わんが為の大使命に生きた一青年、違星北斗兄(けい)の遺著である。小冊子であるが、此の中には生きた説教が沢山ある。

 泣かされる、考えさせられる。

 違星兄が一民族を背負っての苦しみは、吾々の現状に較べて余りに大きい違いがある。私は兄(けい)に励まされ教えられた。兄ほどの覚悟と努力でやればもつと仕事が出来る。

 違星兄は、アイヌの将来に対し、私の頼りに頼つて居る友であつた。実に惜しい。兄の遺著から、歌を幾つか拾つて見る。

           ○

      はしたないアイヌだけれど日の本に

      生れ合せた幸福を知る

 幸福と言われて苦しい。相済まぬ。兄よ許せ。

           ○

      滅びゆくアイヌの為めに起つアイヌ

      違星北斗の瞳輝く

 この雄々しい態度を見よ。

 之を思うとき、一郷一郡を背負う日本人が、もつと有りたい。

           ○

      天地に伸びよ 栄えよ 誠もて

      アイヌの為めに気を挙げんかな

           ○

      昼飯も食はずに夜も尚歩く

      売れない薬で旅する辛さ

 薬を売つて生活の資を得ながら、アイヌ部落を次から次と廻り、同志の友を見出して、アイヌ救済の計画を進めて居た。

           ○

      売薬の行商人に化けている

      俺の人相つく/゛\と見る

           ○

      空腹を抱へて雪の峠越す 

      違星北斗を哀れと思ふ

           ○

      「今頃は北斗は何処に居るだらう」

      噂して居る人もあらうに

 実際此の通りであつた。東京に於ける兄の知己は、いつも兄の消息を待ち、兄の身の上を案じた。此の気持をよく知りながら、我が幸福―東京の生活―を棄て、大念願の為めに此の苦痛をなめた。

                            ○

      めつきりと寒くなつてもシャツはない

      薄着の俺は又も風邪ひく

             ○

      俺でなけや金にもならず名誉にも

      ならぬ仕事を誰がやらうか

 此の自覚の貴とさ。こんな男が日本に、もつとあつたら。

      「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に

      「金になるよ」とよく云つてやつた

 社友を一人紹介したら、幾ら貰えるかと聞く人間ある由、其の時は「うんともらえる」と答えたがいゝかも知れぬ。

             ○

      金儲けでなくては何もしないものと

      きめてる人は俺を咎める

             ○

      金ためた ただ それだけの人間を

      感心してるコタンの人々       (コタン=アイヌ部落の意)

 コタンならずとも、同じ様な感心をする人たち沢山にあり。

             ○

      葉書さへ買ふ金なくて本意ならず

      御無沙汰をする俺の貧しさ

             ○

      無くなつたインクの瓶に水入れて

      使つて居るよ少し淡いが

 之ほどと知れば、もつと助ける道もあつたのに。

 私には只一回だつて、こんな様子も見せなかつた。

 兄にはどんな時にも、武士の態度があつた。

 併し、余りに律儀すぎた。

 兄を怨みたくなる。

              ○

      見せ物に出る様なアイヌ彼らこそ

      亡びるものの名によりて死ね

              ○

      子供等にからかはれては泣いて居る

      アイヌ乞食に顔をそむける

              ○

      アイヌから偉人の出ない事よりも

      一人の乞食出したが恥だ

              ○

      アイヌには乞食ないのが特徴だ

      それを出す様な世にはなつたか

 違星兄、君が今頃東京などに来て、洋服を着た乞食、時には自動車に乗る乞食を見たら何と言うだろう。アイヌ以上の恥かしさを感じながら之を書く。

              ○

      滅亡に瀕するアイヌ民族に

      せめては生きよ俺の此の歌

              ○

      「強いもの!」それはアイヌの名であつた

      昔に恥ぢよ 覚めよ ウタリー       (ウタリー=同胞)

              ○

      勇敢を好み悲哀を愛してた

      アイヌよアイヌ今何処に居る

              ○

      悪辣で栄えるよりは正直で

      亡びるアイヌ勝利者なるか

              ○

      久々に荒い仕事をする俺の

      てのひら一ぱい痛いまめ出た

              ○

      仕事から仕事追ひ行く北海の

      荒くれ男俺もその一人

              ○

      雪よ飛べ風よ刺せ何北海の

      男児の胆を錬るは此の時

              ○

      平取はアイヌの旧都懐しみ

      義経神社で尺八を吹く

              ○

      尺八で追分節を吹き流し

      平取橋の長きを渡る

              ○

      病よし悲しみ苦しみそれもよし

      いつそ死んだがよしとも思ふ

              ○

      若しも今病気で死んで了つたら

      私はいゝが父に気の毒

              ○

      恩師から慰められて涙ぐみ

      そのまゝ拝む今日のお便り

              ○

      熟々(つらつら)と自己の弱さに泣かされて

      又読んで見る「力の泉」

              ○

      先生の深きお情身にしみて

      疲れも癒えぬ今日のお手紙

              ○

      頑健な身体でなくば願望も

      只水泡だ病床に泣く

              ○

      青春の希望に燃ゆる此の我に

      あゝ誰か此の悩みを与へし

              ○

 身を以て示した大教訓。兄去つて此の民族生きるか。

 君を犬死させては相済まぬ。         ―「コタン」一部五十銭送料四銭―

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      北斗農園の設立

 違星北斗、アイヌ民族を背負つて起った義人は斃れた。吾等はこの死を無意味にしたくない。此の理由から新計画を発表する。

 一、本社は、違星氏の遺著『コタン』の出版全部を無償にて為し、本書の売上金全部を提供す。

 二、此の資金により同氏の郷里北海道余市に農園を経営す。余市林檎は名産なるにより之を主とす。

 三、農園はアイヌの有望なる青年の教育を主眼とし、人物養成の手段とす。

 四、資金の一部を違星氏遺族の慰問費にあつ。

 五、同書十部以上の引受者を以て北斗農園の賛助会員とし、永久に敬意を表す。

          コタンに輝く武士道

 「コタン」を読めば真のアイヌの気質が分る。それは、実に我が古武士の気質そつくりである。私は敢て言う。今の日本に、古武士のおもかげを其のまゝ見せる如何なる書物ありやと。本書によりて、も一度自分たちの生活を見直したい。

 同書は、私が近来読んだ書物の中で最も強い感動を受けたものゝ一つである。血を以て書かれた得がたい書物である。

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編輯余録

(略)

▼アイヌの熱血児違星北斗氏の遺著「コタン」が出ました。之をお読みになる事が直にアイヌ民族保護救済事業の援助になるのです

(後略)

2007年9月27日 (木)

「愛国心を考える」

検索に引っかかった本

「愛国心を考える」 (岩波ブックレット NO. 708)

 なぜ,いま愛国心か
  愛国心と九・一一/日の丸・君が代と愛国心教育

II 愛国心の起源
  愛情とイデオロギー/宗教,国家,愛国心/革命を起源とする愛国心/下からの愛国心が上からの愛国心に変わるとき

III 愛国心と近代国家
  愛情と忠誠心/愛国心,ナショナリズム,ジンゴイズム

IV 近代日本の愛国心
  上からの愛国心/国民精神総動員運動/愛国心と帝国/戦後の愛国心論争

V 行動で示される愛国心
  愛国心という化け物/田中正造/違星北斗/小林トミ/ヴァレリー・カウア/国境を超える愛国心

VI グローバリゼーションの時代の愛国心
  愛国心と安全/愛国心と恥の感覚/愛国心,ネーション,個人/愛国心と教育/愛国心と平和

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/

早速注文。
テッサ・モーリス・鈴木さんは「辺境から眺める」で違星北斗について軽くふれられています。
今回は、北斗について、もう少しつっこんでいただけるとよいなあ思います。

管理人  ++.. 2007/09/28(金) 00:22 [339]

2007年6月 1日 (金)

修養とは何か

石原千秋「百年前の私たち 雑書から見る男と女」
(講談社現代新書)より

(前略)一冊のごく一般的な修養書を少し丁寧に見ておこう。青木日蔭・村田天籟共編『努力と修養』(中村書店、大正四年三月)である。詳しく紹介して面白い本でもないので尻取りみたいな書き方になるけれども、悪しからず。
 人は「社会の生活」をするために生まれてきたが、それができるような「完全の人」となるには、「人格」が備わっていなければならない。そういう「有用な人間」になるには「立志」がなければならなくて、立身出世をするためには修養を積まなければならない。修養とは「自分の心を修め、才知や道徳を養ひ成(たす)けるのを言ふ」。修養を以て事を為し遂げるには努力が大切で、努力とは「少しも間断(たえま)の無い、張り切つた心の働きを要する」ものである。ただし、それには「身体の健康」と「精神の弾力」とが必要である。
 以下に『努力と修養』が述べる修養に必要なものを列挙すると、「品位」「独立心」「理想」「良心」「克己心」「我欲を去る事」「節倹主義」「常識」「不屈の精神」「高尚なる心性」「時間に対する経済」「公徳心」「勇気の養成」「事務と整理」「注意」「空想の排斥」「雑念を去るべき事」「秩序を正す事」「正直を主とする事」「機敏といふ事」「虚栄心の害毒」「孝の誉れ」「忠孝の大義」「武道の名誉」「孝道の鑑」「義理の苦心」「忠義の討死」「修養詩歌」。ああ疲れた、これで「完全なる人間」になれそうだ。

管理人  ++.. 2007/06/01(金) 23:33 [322]


 修養とは何か。
 違星北斗が傾倒していた後藤静香や西川光次郎が唱えていた「修養」は、しかしなにも彼らだけの専売特許ではなく、時代の風潮だったように思います。
 日本全国津々浦々の村々の青年団では講習会や夜学校が開かれてこのような「修養」が説かれていたわけです。
 「完全なる人間」「よき人間」、もっといえば「よき日本人」として、いかにして「社会」(=「お国」)のためにお役に立てる人間になり、「立身出世」して「親孝行」をする。
 このような模範的青年像に近づくことが、当時のまじめな青年たちの目標だったのです。そのベクトルのすぐ先にはうっすらと「軍国主義」の姿が見えそうになっているのですが、北斗の時代には、その先十年後に起こることはまだ見えていなかったのかもしれません。

 まじめな北斗も「よい人間になりたい」との思いから、このような修養を志し、同時代の「正義」であるこのような考え方に従って行動してゆきます。

 北斗は十代の後半から東京を後にする二十代半ばまでは、このような理想に燃えています。
 しかし、北海道に帰ってからの北斗の中には、この理想に対しての迷い、活動との矛盾も出てきているように感じます。

 北斗は、和人の教育者たちから得た「修養」というもののフォーマットを、そのままアイヌ民族の地位向上のために使いました。

 確かに、国家が主導して、扱いやすい人間をつくっていくための教育だったのかもしれませんが、その時代の中にあっては、それは致し方がないことであると思います。
 また作品の中で北斗が妙に国家主義的な発言を例にとって、和人の価値観を最後まで払拭できなかった云々という意見がありますが、それもまた、少し違う気がします。
 若い頃の北斗の意見にはかなりの振れ幅があり、タイミングによって、その思想は変化しています。
 今はまだ、彼の生涯にわたる思想の変遷を総括できるほど、その資料が見つかっていないというところだと思います。

 

管理人  ++.. 2007/06/02(土) 00:11 [323]
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