◆思想・宗教

2019年1月 5日 (土)

『アイヌの姿』


後藤先生

 どういふ風に書いたら今のアイヌに歓迎されるかと云ふことは朧げながら私は知ってゐます。にもかゝはらず本文は悉くアイヌを不快がらせてゐます。
 私は心ひそかにこれを痛快がってゐると同時に、悲痛な事に感じて居ります。これは今のアイヌの痛いところを可成り露骨にやっつけてゐるからであります。若しアイヌの精神生活を御存じない御仁が之を御覧になられたら、違星は不思議なことを言ふものかなと思召されることでせう。殊にコタン吟の「同化への過渡期」なぞに至っては益々この感を深うすることでせう。アイヌを愛して下さる先生にかやうなことを明るみであばくことは本当に恥しいことであります。けれどもアイヌの良いところも(もしあったとしたら)亦悪いところも皆んな知って頂きたい願から拙文をもってアイヌの姿(のつもりで)を正直に書きました。なるべくよそ様へは見せたくはありません。それは歓迎されないからではありません。ナゼ私は私さへも不快な事実を表白せねばならないか。その「ねばならぬ」ことを悲しむからです。只々私の目のつけどころ(ねらひどころ)だけを御汲みわけ下さい。

 永劫かくやと思わせた千古の大森林、熊笹茂る山野、はまなしの花さき競ふ砂丘も、原始の衣を脱いで百年。見よ、山は畑地に野は水田に神秘の渓流は発電所に化して、鉄路は伸びる。巨船はふえる、大厦高楼は櫛の歯のやうに並ぶ。
 かうして二十世期の文明は北海道開拓の地図を彩色し尽した。嗚呼、皇国の隆盛を誰か讃仰せぬ者あらう。長足の進歩! その足跡の如何に雄々しき事よ。
 されど北海の宝庫ひらかれて以来、悲しき歩みを続けて来た亡びる民族の姿を見たか……野原がコタン(村)になり、コタンがシャモの村になり、村が町になった時、そこに居られなくなった…………、保護と云ふ美名に拘束され、自由の天地を失って忠実な奴隷を余儀なくされたアイヌ…………、腑果斐なきアイヌの姿を見たとき我ながら痛ましき悲劇である。ひいては皇国の恥辱である。
 アイヌ! あゝなんと云ふ冷かな言葉であらう。誰がこの概念を与へたであらう。言葉本来の意義は遠くに忘れられて、只残る何かの代名詞になってゐるのはシャモの悪戯であらうか。アイヌ自身には負ふべき責は少しもなかったであらうか? 内省せねばならぬことを痛切に感ずるのである。
 私は小学生時代同級の誰彼に、さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生々活をしたと云ふ理由は、簡単明瞭「アイヌなるが故に」であった。現在でもアイヌは社会的まゝ子であって不自然な雰囲気に包まれてゐるのは遺憾である。然るにアイヌの多くは自覚してゐないで、ただの擯斥や差別からのがれようとしていてのがれ得ないでゐる。即ち悪人が善人になるには悔あらためればよいのであるが、アイヌがシャモになるには血の問題であり時間の問題であるだけ容易でないのである。こゝに於て前科者よりも悪人よりも不幸であるかの様に嘆ずるものもある。近頃のアイヌはシャモへシャモへと模倣追従を事としてゐる徒輩がまた続出して、某はアイヌでありながらアイヌを秘すべく北海道を飛び出し某方面でシャモ化して活躍してゐたり、某は○○○○学校で教鞭をとってゐながら、シャモに扮してゐる等々憫むべきか悲しむべきかの成功者がある。これらの贋シャモ共は果して幸福に陶酔してゐるであらうか? 否ニセモノの正体は決して羨むべきものではない。先ず己がアイヌをかくしてることを自責する。世間から疑はれるか、化けの皮をはがれる。其の度毎に矛盾と悲哀のどん底に落つるか、世をはかなみ人を恨む。此の道をたどった人の到達の点如何に悲惨であるかは説明するまでもないことである。吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的でない。いわんやニセモノにおいてをやである。
 けれども悲しむべし。アイヌは己が安住の社会をシャモに求めつゝ優秀な者から先をあらそうてシャモ化してしまふ。その抜け殻が今の「アイヌ」の称を独占しているのだ! 今後益々この現象が甚しくなるのではあるまいか? 優生学的に社会に立遅れた劣敗者がアイヌの標本として残るのではあるまいか?
 昔のアイヌは強かった。然るに目前のアイヌは弱い。現代の社会及び学会では此の劣等アイヌを「原始的」だと前提して太古のアイヌを評価しようとしてゐる。けれども今のアイヌは既に古代のアイヌにさかのぼりうる梯子の用を達し得ないことを諸君と共に悲しまねばならぬ。
 アイヌはシャモの優越感に圧倒されがちである。弱いからだと云ってしまへばそれまでであるが、可成り神経過敏になってゐる。耳朶を破って心臓に高鳴る言葉が「アイヌ」である。言語どころか「アイヌ」と書かれた文字にさへハッと驚いて見とがめるであらう。吾人はこの態度の可否は別問題として、かゝる気づかひを起こさしめた(無意識的に平素から神経を鋭くさしてゐる程重大な根本的欲求の)その第一義は何であらう? ―――アイヌでありたくない―――と云ふのではない。―――シャモになりたい―――と云ふのでもない。然らば何か「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。適切に云ふならば「日本臣民として生きたい願望」であるのである。
 此の欲求をはき違へたり、燃ゆる願をアイヌ卑下の立場にさらしたことを憫れむのである。
 同化の過渡期にあるアイヌは嘲笑侮蔑も忍び、冷酷に外人扱ひにされてもシャモを憎めないでゐる。恨とするよりも尚一層シャモへ憧憬してゐるとは悲痛ではないか。併しながら吾人はその表現がたとひ誤多しとしても、彼等が衷心の大要求までを無視しようとするのでは毛頭ない。アイヌには乃木将軍も居なかった。大西郷もアイヌにはなかった。一人の偉人をも出してゐないことは限りなく残念である。されど吾人は失望しない。せめてもの誇りは不逞アイヌの一人もなかった事だ。今にアイヌは衷心の欲求にめざめる時期をほゝ笑んで待つものである。
「水の貴きは水なるが為めであり、火の貴きは火なるが為めである」(権威)*1
 そこに存在の意義がある。鮮人が鮮人で貴い。アイヌはアイヌで自覚する。シャモはシャモで覚醒する様に、民族が各々個性に向って伸びて行く為に尊敬するならば、宇宙人類はまさに壮観を呈するであろう。嗚呼我等の理想はまだ遠きか。
 シャモに隠れて姑息な安逸をむさぼるより、人類生活の正しい発展に寄与せねばならぬ。民族をあげて奮起すべき秋は来た。今こそ正々堂々「吾れアイヌ也」と呼べよ。
 たとい祖先は恥しきものであってもなくっても、割が悪いとか都合がよいとか云ふ問題ではない。必然表白せないでは居られないからだ。
 吾アイヌ! そこに何の気遅れがあらう。奮起して叫んだこの声の底には先住民族の誇まで潜んでゐるのである。この誇をなげうつの愚を敢てしてはいかぬ。不合理なる侮蔑の社会的概念を一蹴して、民族としての純真を発揮せよ。公正偉大なる大日本の国本に生きんとする白熱の至情が爆発して「吾れアイヌ也」と絶叫するのだ。
 見よ、またゝく星と月かげに幾千年の変遷や原始の姿が映ってゐる。山の名、川の名、村の名を静かに朗咏するときに、そこにはアイヌの声が残った。然り、人間の誇は消えない。アイヌは亡びてなくなるものか、違星北斗はアイヌだ。今こそはっきり斯く言ひ得るが…………反省し瞑想し、来るべきアイヌの姿を凝視みつめるのである。
(二五八七・七・二)


※ 95年版『コタン』より
*1 引用されている文章は後藤静香の『権威』所収の「女性」の一部である。

2008年10月30日 (木)

グーグル書籍検索で「違星北斗」を検索してみた

 グーグルに「書籍検索」というものがあり、アメリカの図書館の蔵書の「中身」が検索できるようになっています。
 アメリカの図書館といっても、英語だけじゃなく、アメリカの図書館の中に所蔵されている「日本語」の本の中身も日本語で検索できるようになっており、結構すごいことになっております。

 私としては当然のことながら、「違星北斗」で検索してみましたところ、いろいろと出てきました。

 ただ、たとえば「違星」と検索しても、その名前の前後の20文字程度しか出てこない、あるいはその本の中に「違星」という言葉が含まれているということしかわからない、といったものですので、結局はその本をどこかで探して読まなければならないのですが。

 また、スキャナで取り込んで、OCR(文字認識ソフト)文字化しているのですが、文字認識の精度が低く、正しく「違星」と認識されている場合もあれば、「連星」「迫星」など、違った文字として読まれてしまっているのもあり、似た文字をいろいろ試しながら、現在、そのリストを作っているところです。

 その作業の中で、ちょっとした発見がありました。

続きを読む "グーグル書籍検索で「違星北斗」を検索してみた" »

2008年10月21日 (火)

永劫の象とは

 昭和3年2月29日、違星北斗は幌別で友人の死を知ります。

 二月廿九日 水曜日

 豊年健治君のお墓に参る。堅雪に立てた線香は小雪降る日にもの淋しく匂ふ。帰り道ふり向いて見ると未だ蝋燭の火が二つ明滅して居た。何とはなしに無常の感に打たれる。  
 豊年君は死んで了ったのだ。私達もいつか死ぬんだ。
 一昨年の夏寄せ書した時に君が歌った

    永劫の象に於ける生命の
    迸り出る時の嬉しさ  

 あの歌を思い出す。    

    永劫の象に君は帰りしか
    アシニを撫でて偲ぶ一昨年


 この「永劫の象」とは何か。
 「象」はエレファントの象ではないだろう。かたち、イメージ、イデアの「象」だろう。
 じゃあ、永遠の象とはなんだろう?

続きを読む "永劫の象とは" »

2008年10月11日 (土)

北斗からの手紙(2)大正15年7月8日

さて、2通目の手紙です。

 宛先は「東京市外阿佐ヶ谷町大字成宗三三二
金田一京助先生」、封筒に書かれた日付は大正15年7月8日、差出人は「北海道室蘭線ホロベツ バチラー方 違星滝次郎」とあります。
 
 北斗は大正15年7月5日夜に東京を発ち、7月7日に北海道の幌別に到着しています。その翌日に書かれた手紙です。
 
 これを見ると、北斗は帰道直後、バチラー八重子のいる幌別(現・登別)の聖公会の教会に寄宿したことがわかります。

続きを読む "北斗からの手紙(2)大正15年7月8日" »

2008年8月30日 (土)

一言集

 北斗が、病床で最後まで読んでいたという「一言集」という小冊子を入手。

 後藤静香が格言や警句のような、短い言葉を描いたもので、昭和3年10月発行。非売品で、昭和4年版「心の日記」の付録のようです。

 この昭和3年10月といえば、もう、かなり弱っている頃です。

続きを読む "一言集" »

2008年8月18日 (月)

春の若草

O先生より、教えて頂きました。

草風館版コタン(95年版)に掲載されている「春の若草」について。

 95年版コタンにおいては、「春の若草」は「ウタリ之友」(バチラー伝道団の機関誌)の創刊号(昭和8年1月20日)に「違星北斗氏遺稿」として掲載されていたものから採られていましたが、初出は「ウタリグス」(同じくバチラー伝道団の機関誌で、「ウタリ之友」前身にあたるもの)の1926(大正15)年8月号に掲載されていたものだそうです。

 なるほど、そう思って読んで見ると、非常に初々しく、力強く、情熱にあふれています。
 7月7日に北海道に戻ってきた北斗は、まず幌別のバチラー八重子の教会へと身を寄せ、7月半ばには平取の教会へと向かいます。
(バチラー八重子はこの時点では平取にはおらず、平取に移るのは翌昭和2年です。岡村国夫神父が教会を、岡村神父の妻で八重子の妹の千代子が幼稚園を取り仕切っていました)。
 まだ、東京から使命感に燃えて戻ってきたばかりの、多感で期待に満ちあふれていた時代の北斗です。自信と情熱に満ちた美しい言葉です。
 この後、現実的な問題にぶちあたることになります。幼稚園の金銭問題や、苛酷な労働から来る疲労、行く先々の同胞の無関心や無理解などに苦しめられるようになります。
 この「春の若草」は、東京を立つ前に書かれた「アイヌの一青年から」の直後のものであり、その一年後に書かれる「アイヌの姿」と3編続けて読むと、その思想の移り変わりがよく見えてくると思います。

2008年8月12日 (火)

資料再読

北斗の全資料を再読しています。
その中で、いくつか発見がありましたので、書き込んでおきます。

(1)「子供の道話」昭和2年1月号に掲載された北斗の手になる童話「世界の創造とねづみ」について。

このお噺は、「清川猪七翁」からの聞き取ったものですが、この清川猪七翁という名前、どこかで見たことがあると思っていたのですが、この方はジョン・バチラーの助手であった「清川戌七」ではないかと思います。

 清川戌七といえば、「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」の中で、ジョン・バチラーや八重子、吉田花子のことを語っている方です。
http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/post_ab90.html

この方は、1874(明治7)年生まれですから、この童話が書かれた大正15年には52歳、北斗から見れば「翁」といっても差し支えない年齢だと思います。

 「文献上のエカシとフチ」(札幌テレビ放送)によると、この方は新冠出身、明治22年新冠でジョン・バチラーと出会い、以後その布教を助けたそうです。
 生活地は平取町荷菜ということなので、北斗が平取教会にいたときに出会ったのでしょう。

続きを読む "資料再読" »

2008年5月 8日 (木)

希望社の雑誌

北斗が生きていた時代の希望社の雑誌がごっそり売りに出ていたので、意を決して購入。

全部93冊だけど、一冊あたりだと100円ちょっと。

①「のぞみ」 希望社

 大正12年 1~11月/大正13年1月、3~12月/大正15年2~7月、9月、11月

 昭和2年1月、5~8月/昭和3年1~12月/昭和4年1~7月、9月、11月

②「希望」 希望社 

 大正11年6~7月/大正12年6~11月/大正13年1~5月  

 大正14年1~4月、8~12月/大正15年2~11月/昭和2年4~5月、7月、9~10月

 昭和3年1~7月

 以前、同じく希望社の「大道」に北斗の追悼記事があったので、期待に胸を躍らせながらとりかかりました。

 数日かけて、ひととおり精読しましたが、北斗に関することは全くでていませんでした。

 非常に、残念です。

 「のぞみ」、「希望」とも修養雑誌ですが、それぞれのターゲットが「のぞみ」は一般読者、「希望」は教育者向けということのようです。

 執筆はほとんど後藤静香一人によるものらしく、格言や古今東西の偉人伝、寓話などが主です。カリスマ的な後藤静香の一人語りです。

 希望社の雑誌には、同じく北斗が愛読していた、西川光二郎・文子夫妻の「自働道話」「子供の道話」のように、読者からのお便りを掲載するといった「双方向性」がほとんどみられません。

 そういうこともあってでしょうが、北斗の痕跡は、今回読んだ「希望」「のぞみ」にはまったく残っていませんでした。北斗は後藤静香とは面識があり、アイヌのことでいろいろ意見交換をしたりしていたようですが、雑誌上においては、北斗は百万読者の一人でしかなかったようです。

(ただ、「大道」が北斗の追悼文を掲載した昭和5年のあたりには、同様の何かがあるかもしれませんし、今回チェックしていないところに掲載されている可能性はないとはいえませんが)。

 同じ修養雑誌でも、「読者参加型」でアットホームな雑誌であった西川光二郎の「自働道話」等と、カリスマ後藤静香のお言葉、いわば「お筆先」を記した希望社の「希望」「のぞみ」等とは、当然ながら棲み分けがあったと思います。

 ただ、共通しているのは、時系列で読んでいくにしたがって、徐々に右傾化していく時代の匂いや勢いが、誌面からもよくわかることでしょうか。

 時代の空気が、そうだった以上、その空気を吸っている北斗をはじめとする善男善女、無辜の人々もまた、その影響を受けざるを得ないのだと思います。

 北斗の右傾化したようにみえる言動について、現代の匂いや色のついた空気の中から、あれやこれや非難するのは簡単ですが、それでは本当の北斗のこと、彼の言葉の意味は何もわからないでしょう。

 北斗が吸っていた空気の色や匂いを知らなくてはいけない。完全とはいえないけれども、その空気を出来る限り知ったつもりになった上で、北斗の言動を見なければならない。

 そんな気がします。

 機会があれば、希望社の雑誌について、もっと読み込んで、何か書いてみたいとも思います。

2008年4月 9日 (水)

『コタン』に泣く(後藤静香)

 後藤静香の希望社の雑誌のうち、北斗関係の記事が載っていそうなものを調べていたら、希望社の雑誌「大道」昭和5年8月号に後藤静香による、北斗追悼の記事を見つけました。

----------------------------------------------------

----------------------------------------------------

  『コタン』に泣く

 悦ぶと云う字は活字の無くなるほど使つても、泣くと云う字はめつたに使わない私が、こゝにこんな見出しを書いた。

 実際のところ、余りに大きい問題を背負つて居るので、大抵なことでは泣けない私であり、又久しい間の鍛練で、冷たくなつて、熱い涙など殆ど出さなくなった私ではあるが、『コタン』ではとう/\泣いた。人間の至情に負かされた。

『コタン』はアイヌを以て自ら満足し、之を誇りとし、アイヌを救わんが為の大使命に生きた一青年、違星北斗兄(けい)の遺著である。小冊子であるが、此の中には生きた説教が沢山ある。

 泣かされる、考えさせられる。

 違星兄が一民族を背負っての苦しみは、吾々の現状に較べて余りに大きい違いがある。私は兄(けい)に励まされ教えられた。兄ほどの覚悟と努力でやればもつと仕事が出来る。

 違星兄は、アイヌの将来に対し、私の頼りに頼つて居る友であつた。実に惜しい。兄の遺著から、歌を幾つか拾つて見る。

           ○

      はしたないアイヌだけれど日の本に

      生れ合せた幸福を知る

 幸福と言われて苦しい。相済まぬ。兄よ許せ。

           ○

      滅びゆくアイヌの為めに起つアイヌ

      違星北斗の瞳輝く

 この雄々しい態度を見よ。

 之を思うとき、一郷一郡を背負う日本人が、もつと有りたい。

           ○

      天地に伸びよ 栄えよ 誠もて

      アイヌの為めに気を挙げんかな

           ○

      昼飯も食はずに夜も尚歩く

      売れない薬で旅する辛さ

 薬を売つて生活の資を得ながら、アイヌ部落を次から次と廻り、同志の友を見出して、アイヌ救済の計画を進めて居た。

           ○

      売薬の行商人に化けている

      俺の人相つく/゛\と見る

           ○

      空腹を抱へて雪の峠越す 

      違星北斗を哀れと思ふ

           ○

      「今頃は北斗は何処に居るだらう」

      噂して居る人もあらうに

 実際此の通りであつた。東京に於ける兄の知己は、いつも兄の消息を待ち、兄の身の上を案じた。此の気持をよく知りながら、我が幸福―東京の生活―を棄て、大念願の為めに此の苦痛をなめた。

                            ○

      めつきりと寒くなつてもシャツはない

      薄着の俺は又も風邪ひく

             ○

      俺でなけや金にもならず名誉にも

      ならぬ仕事を誰がやらうか

 此の自覚の貴とさ。こんな男が日本に、もつとあつたら。

      「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に

      「金になるよ」とよく云つてやつた

 社友を一人紹介したら、幾ら貰えるかと聞く人間ある由、其の時は「うんともらえる」と答えたがいゝかも知れぬ。

             ○

      金儲けでなくては何もしないものと

      きめてる人は俺を咎める

             ○

      金ためた ただ それだけの人間を

      感心してるコタンの人々       (コタン=アイヌ部落の意)

 コタンならずとも、同じ様な感心をする人たち沢山にあり。

             ○

      葉書さへ買ふ金なくて本意ならず

      御無沙汰をする俺の貧しさ

             ○

      無くなつたインクの瓶に水入れて

      使つて居るよ少し淡いが

 之ほどと知れば、もつと助ける道もあつたのに。

 私には只一回だつて、こんな様子も見せなかつた。

 兄にはどんな時にも、武士の態度があつた。

 併し、余りに律儀すぎた。

 兄を怨みたくなる。

              ○

      見せ物に出る様なアイヌ彼らこそ

      亡びるものの名によりて死ね

              ○

      子供等にからかはれては泣いて居る

      アイヌ乞食に顔をそむける

              ○

      アイヌから偉人の出ない事よりも

      一人の乞食出したが恥だ

              ○

      アイヌには乞食ないのが特徴だ

      それを出す様な世にはなつたか

 違星兄、君が今頃東京などに来て、洋服を着た乞食、時には自動車に乗る乞食を見たら何と言うだろう。アイヌ以上の恥かしさを感じながら之を書く。

              ○

      滅亡に瀕するアイヌ民族に

      せめては生きよ俺の此の歌

              ○

      「強いもの!」それはアイヌの名であつた

      昔に恥ぢよ 覚めよ ウタリー       (ウタリー=同胞)

              ○

      勇敢を好み悲哀を愛してた

      アイヌよアイヌ今何処に居る

              ○

      悪辣で栄えるよりは正直で

      亡びるアイヌ勝利者なるか

              ○

      久々に荒い仕事をする俺の

      てのひら一ぱい痛いまめ出た

              ○

      仕事から仕事追ひ行く北海の

      荒くれ男俺もその一人

              ○

      雪よ飛べ風よ刺せ何北海の

      男児の胆を錬るは此の時

              ○

      平取はアイヌの旧都懐しみ

      義経神社で尺八を吹く

              ○

      尺八で追分節を吹き流し

      平取橋の長きを渡る

              ○

      病よし悲しみ苦しみそれもよし

      いつそ死んだがよしとも思ふ

              ○

      若しも今病気で死んで了つたら

      私はいゝが父に気の毒

              ○

      恩師から慰められて涙ぐみ

      そのまゝ拝む今日のお便り

              ○

      熟々(つらつら)と自己の弱さに泣かされて

      又読んで見る「力の泉」

              ○

      先生の深きお情身にしみて

      疲れも癒えぬ今日のお手紙

              ○

      頑健な身体でなくば願望も

      只水泡だ病床に泣く

              ○

      青春の希望に燃ゆる此の我に

      あゝ誰か此の悩みを与へし

              ○

 身を以て示した大教訓。兄去つて此の民族生きるか。

 君を犬死させては相済まぬ。         ―「コタン」一部五十銭送料四銭―

----------------------------------------------------

      北斗農園の設立

 違星北斗、アイヌ民族を背負つて起った義人は斃れた。吾等はこの死を無意味にしたくない。此の理由から新計画を発表する。

 一、本社は、違星氏の遺著『コタン』の出版全部を無償にて為し、本書の売上金全部を提供す。

 二、此の資金により同氏の郷里北海道余市に農園を経営す。余市林檎は名産なるにより之を主とす。

 三、農園はアイヌの有望なる青年の教育を主眼とし、人物養成の手段とす。

 四、資金の一部を違星氏遺族の慰問費にあつ。

 五、同書十部以上の引受者を以て北斗農園の賛助会員とし、永久に敬意を表す。

          コタンに輝く武士道

 「コタン」を読めば真のアイヌの気質が分る。それは、実に我が古武士の気質そつくりである。私は敢て言う。今の日本に、古武士のおもかげを其のまゝ見せる如何なる書物ありやと。本書によりて、も一度自分たちの生活を見直したい。

 同書は、私が近来読んだ書物の中で最も強い感動を受けたものゝ一つである。血を以て書かれた得がたい書物である。

----------------------------------------------------

----------------------------------------------------

編輯余録

(略)

▼アイヌの熱血児違星北斗氏の遺著「コタン」が出ました。之をお読みになる事が直にアイヌ民族保護救済事業の援助になるのです

(後略)

2007年9月27日 (木)

「愛国心を考える」

検索に引っかかった本

「愛国心を考える」 (岩波ブックレット NO. 708)

 なぜ,いま愛国心か
  愛国心と九・一一/日の丸・君が代と愛国心教育

II 愛国心の起源
  愛情とイデオロギー/宗教,国家,愛国心/革命を起源とする愛国心/下からの愛国心が上からの愛国心に変わるとき

III 愛国心と近代国家
  愛情と忠誠心/愛国心,ナショナリズム,ジンゴイズム

IV 近代日本の愛国心
  上からの愛国心/国民精神総動員運動/愛国心と帝国/戦後の愛国心論争

V 行動で示される愛国心
  愛国心という化け物/田中正造/違星北斗/小林トミ/ヴァレリー・カウア/国境を超える愛国心

VI グローバリゼーションの時代の愛国心
  愛国心と安全/愛国心と恥の感覚/愛国心,ネーション,個人/愛国心と教育/愛国心と平和

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/

早速注文。
テッサ・モーリス・鈴木さんは「辺境から眺める」で違星北斗について軽くふれられています。
今回は、北斗について、もう少しつっこんでいただけるとよいなあ思います。

管理人  ++.. 2007/09/28(金) 00:22 [339]
フォト

違星北斗bot(kotan_bot)

  • 違星北斗bot(kotan_bot)
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ