違星北斗が発掘した銅鏡
余市町のホームページに 「余市町でおこったこんな話「その169 違星北斗(いぼしほくと)」」 が掲載されています。 北斗が大川遺跡で掘り出したという銅鏡が掲載されています。 https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2018/sono169.html |
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余市町のホームページに 「余市町でおこったこんな話「その169 違星北斗(いぼしほくと)」」 が掲載されています。 北斗が大川遺跡で掘り出したという銅鏡が掲載されています。 https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/yoichistory/2018/sono169.html |
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今日(2017・11・25)の道新の「ミンタラ」《先人たちの物語 シンリッオルッペ》で違星北斗が取り上げられています。
すごい!
内容については、まず、問題ないです。
特に良いと思ったのが「同人誌コタン」の表紙がちゃんと正しいものになっていること。(遺稿集に掲載されているエカシの立ち姿の載ったページは、実は目次ページで、収録時に表紙が散逸していたのでしょう。数年前に古書店で同人誌コタンが出た時に、本当の表紙がわかったのです)。
いやあ、年表にも書き加えないといけないですね。
(とはいえ、HTMLの更新環境が失われているので、手軽には出来ないんですよね)。
添付画像では読めないと思いますので、下記リンクを参照。
FB「新聞記事スクラップ」
https://www.facebook.com/sisam2017sinbun/photos/a.137540280136904.1073741826.137538480137084/198243270733271/?type=3&theater
ただ、北斗のイラストはもうすこし男前がよかったな。
違星北斗と与謝野鉄幹・晶子夫妻の間に関係があるという資料はみつかっていない。 でも、北斗と晶子は、あっていた確率は決してないわけではないと思う。 なぜか。 違星北斗は、西川光次郎と妻の西川文子と親しくしていたからだ。 北斗は西川光次郎の斡旋で上京した。 上京してすぐに、北斗は文子と会い、西川夫妻から可愛がられている。 この西川文子の兄の妻が、晶子の妹の「里子」。 つまり、西川文子にとっては、晶子も義姉ということになり、その夫の鉄幹は義兄である。 北斗は、与謝野鉄幹・晶子夫妻の義妹である西川文子と親しかったのだ。 ------------------------------------ 与謝野鉄幹 | 晶子 → (妹)里子 | ○(文子の兄) → 文子 | 西川光次郎 ------------------------------------ これって、ちょっとすごくないですかね!? もしかしたら、何か文書に残っていないかな。 http://office34.exblog.jp/11522848/ |
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本日、浜益でカムイノミがあり、私も参加してきました。 海でもカムイノミをしました。
途中にコタンの跡地の碑が。 |
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ちなみに違星北斗が足繁く通っていた新宿の「希望社」の自社ビルは、昭和七年希望社解散後、「伊勢丹」が入ったのだそうです。なんだか急に身近に思えるじゃあありませんか。
戦争直前に書かれた違星北斗モデルの小説『民族』(山中峯太郎)の中で、主人公「ヰボシ」は、社会のアイヌに対する風当たりに絶望して命を断つ。
でも、山中峯太郎の作品は2017年の1月1日に著作権が切れたので、そのうち青空文庫にアップされるかも。 |
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違星北斗の周りに時代の空気のようにあった希望社や修養団、国柱会などの団体の思想。その修養・向上の考えは確かに北斗を教導した。
だが90年後のこの国を覆っている排外的な空気もまた、そういった戦前の教化団体の思想を受け継ぐ日本会議のような団体が、現代に蘇らせた空気なのは皮肉なことだな。
ツイッター上で、違星北斗の言葉が「悪用」し、アイヌへのヘイトに使われることがあります。
曰く「アイヌは存在しない」「アイヌは喜んで和人に同化した」「その証拠は違星北斗が書き残している」云々…。
あまりにひどいので、そのヘイターに「違星北斗の言葉」で反論するということがありました。
その「まとめ」です。
https://togetter.com/li/1105025
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