○調査日記

2016年5月 7日 (土)

沙流川歴史館年報に「違星北斗ノートについて」を寄稿しました!

 沙流川歴史館年報17号に寄稿しました。

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 転載の許可をいただきましたので、こちらからもお読みいただけます。
 文章が読めたものではなかったので、一部、文章を修正しています。
 
 

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2016年1月27日 (水)

87年前

今日(もう昨日か)1月26日は、違星北斗の命日でした。没後87年です。

この1月26日という日は、北斗にとっては命日であるのと同時に、もう一つの記念日でもあります。

違星北斗は、死の5年前の1924(大正13)年、22歳の時に余市アイヌの修養団体「茶話笑楽会」を結成しています。

1月26日は皇太子(後の昭和天皇)の成婚記念日で、笑楽会はこの日に合わせて結成された、といくつかの資料に書いてあります。

アイヌである北斗がなぜ?

と思う人もいるかもしれませんが、それは今日的な感覚なのだと思います。

当時としてはおめでたい日に合わせて結成しよう、というのは当たり前の感覚だったのかもしれません。

ちなみに北斗と昭和天皇はともに1901(明治34)年同年の生まれであります。北斗は戸籍上は翌年1月1日生まれになっていますが、前年の年末に生まれています。北斗が戸籍上の明治35年ではなく、34年生まれを自称していたのには、そのあたりのことも関係しているかもしれません。

いずれにしても、
亡くなった1月26日が、北斗の民族復興の運動の最初の第一歩の記念日であり、さらにそれが昭和天皇の成婚記念日からとられている、というのはいろんな意味で数奇な感じがしてなりません。

2016年1月23日 (土)

変節のケーススタディ

昨日、東京外国語大学で開かれた「アイヌ民族とオーストラリア先住民――同化・差別と研究の現在」というワークショップに参加して考えたこと。

河野本道というアイヌ研究者は、昔は親アイヌ的な立場をとっていたけど、近年は小林よしのりや砂澤陣なんていうアイヌ民族否定論者のすがり立つ支柱のような存在になってしまった。

いろいろあって。

そう。その「いろいろあって」というのが、本当に厄介なのだと思う。個人的体験による変節。ルサンチマン。

河野本道が「いろいろあって」そうなった。
砂澤陣が(同上)。

その「いろいろあって」が、彼らを変節させ、
今や新たな差別と偏見の出どころになろうとしている。

一緒にしたらダメだけど、知里真志保の心にもいろいろがあった。
もしかしたら、病床でしたためられ、希望社によって取捨選択され、残らなかった違星北斗の日記にも、いろいろあった、その変化があったかもしれない。
(古田謙二の短歌に、病床の北斗の思想は歪んでいるという記述がある)

そういった、ルサンチマンや屈辱や絶望や挫折による変節や屈折が、それを利用したい者によって悪用され、ソーシャルメディアにより拡散されることで、今やその悪意は看過できないものになっている。

我々は、彼らの極めて個人的体験に根ざした、変節の記録を学ばなければならない。

明らかにしなければならない。
変節のケーススタディを整理しなければならない。

いろいろあって、こうなった。
だから、その人の言うことには気をつけろよ、フィルターがかかってるぞ、と。

これを読めという、決定版を作らなければいけない。
正解を示さなければいけない。常識にしなければならない。

僕たちは当たり前に思っていた、してはいけないことが、
いつからか、人を差別すること、虐げること、人を人とも思わないこと、人を苦しめることを、平気な顔、誇らしい顔で行うことがまかり通る世の中になってしまった以上は。

2016年1月20日 (水)

【新発掘】 違星北斗「小曲」

小曲

1 

アイヌモシリの

遠おい遠い

むかしこひしの

恋ひしややら

2 

光るは涙か?

それとも声か?

澄むほど淋し

大熊小熊

3 

みんなゆめさと

わすれてゐても

雲るも涙

照さえかなし

4 

北のはてなる

ケヌカラカムイ

冷めたいみそらに

まばたいてゐる

(大正14年ノートより)

2015年9月 1日 (火)

オマンルパロ

知里真志保の「あの世の入り口いわゆる地獄穴について」の中で、余市の伝承として「余市町郷土史」を更科源三が「北海道伝説集アイヌ編」に引用しててるのを真志保が孫引きしてるんだけど、話の運びが違星北斗の「郷土の伝説」とほとんど同じなんどよね。

元の余市町郷土史は北斗を参照してるのでは?

あと、「あの世の入り口」の呼び名が、余市なのに、遠く離れた日高と同じ「オマンルパロ」なのかな、とも。

日高に縁深かった北斗が、日高の呼び方を持ってきたってことないよね?

余市のシリパのオマンルパロの文献上の初出を調べてみよう。

「余市町郷土史」は1933年発行。余市の教員の手によるもの。

北斗の「郷土の伝説」は1927年。

ただ当時の伝説自体がけっこう知られていたのかもしれないし、共通の底本があるのかもしれない。

2015年7月13日 (月)

SF乱学講座・「違星北斗」

8月2日(日)「SF乱学講座」で違星北斗の事をお話しさせていただきます。

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「アイヌの歌人・違星北斗の言葉の「悪用」について」

講師:山科清春(違星北斗研究会代表)

内容紹介:

アイヌの歌人・違星北斗は、大正から昭和の初めに活動した、アイヌの歌人です。
彼はその27年の生涯をアイヌの民族復興と権利回復のために捧げ、当時「滅び行く民族」などと呼ばれていたアイヌの中にあって、「俺はアイヌだ」「俺はここにいる」と叫び、多くの同族に勇気を与え、自覚と団結を促しました。
ところが、このアイヌの誇りと魂の叫びを歌った違星北斗の言葉が、近年、全く正反対の「アイヌ民族は存在しない」といったヘイトスピーチの中で用いられるといった事態が起きています。
この講座では、違星北斗の波乱に満ちた生涯とその思想の変遷を紹介しながら、彼の言葉はなぜ悪用されたのか、その本当の意味とは?
といったことを中心にお話しさせていただきたいと思います。

開催日時:2015年8月2日 日曜日 午後6時15分~8時15分
参加費 :千円
会場  :高井戸地域区民センター(地図) (京王井の頭線「高井戸」駅下車)

http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5302/

2015年7月 2日 (木)

違星北斗講演 配布資料・ダウンロードページ

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去る2015年6月12日に北海道大学 アイヌ・先住民研究センターで行われました講演

「アイヌの歌人・違星北斗の生涯とその思想について」の

講義資料(PDF)をアップロードしましたので、下のリンクよりダウンロードしてください。

(Adobe Readerなど、PDFファイルが見られる環境が必要です)。

※クリックするとPDFが開かれますので、「名前を付けて保存」で、任意の場所に保存してください。

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違星北斗遺稿集 ダウンロード

 1954年(昭和29年)に「違星北斗の会」(代表 木呂子敏彦)が発行した小冊子。
 その中で、平取での歌碑建設の呼びかけが行われている。

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違星北斗年譜(講演会バージョン) ダウンロード

 最新の違星北斗年譜です。
 (ホームページのものは更新が滞ってしまい、だいぶ古くなってしまっています。すみません)。

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違星北斗昔話集 ダウンロード

 違星北斗の手による昔話集です。

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知里幸恵『アイヌ神謡集』「序文」と違星北斗が同人誌「コタン」で引用した同文の比較

 ダウンロード

 (北斗が引用したものには、意図的に「コタン」というタイトルが付加され、「コタン」という言葉に、知里幸恵「序文」の世界のイメージをまるごと包括させようという意図が感じられる)。

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・講演会レジュメ  ダウンロード

当日の講演レジュメ。実際の講演は、グダグダになってしまいました。

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2015年2月 9日 (月)

北斗の短冊

 「アイヌ民族否定論に抗する」(河出書房新社)をお読みになった方がツイッターで興味深いつぶやきをされていました。
 その方のお祖父さまは、違星北斗のお知り合いだったとのこと。
 さっそく、ツイッターで連絡させていただきました。
 現在、札幌にお住まいのTさんとおっしゃられる方で、その方のお祖父さまは、小樽の景山病院で働いて短歌や俳句をされており、ご自宅に北斗が泊まられたられり、一緒に銭湯に行ったことがあるそうです。
 
 景山病院といえば、北斗が活躍していた「新短歌時代」に掲載された「さらば小樽よ小樽の人々よ」という福田義正の文章に登場します。

http://www.geocities.jp/bzy14554/sarabaotaruyo.htm

 
 また、今回ご連絡をいただいたTさんのお祖父様のお名前も、上の文章に出ているそうです。

 さらに!
 ご自宅に現在も「北斗の直筆の短冊」がある、とのことでした。

 それが、こちらです。

Ss


 これは、間違いなく、北斗の筆によるものだと思います。

 特徴的なのが「4」に似た「斗」の形、斗の右下に点を打つこと。

2015年1月 7日 (水)

寄稿させていただいた『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社、1月27日発行)の目次、公式サイトにはまだ出てないんですが、岡和田さんのサイトにありました。
全容ははじめて見ましたが、すごいメンバーですね。光栄です。

http://d.hatena.ne.jp/Thorn/touch/20150106/p2

(ペンネームの山科清春で「違星北斗の言葉の『悪用』について」という文を書いています)。

2014年9月11日 (木)

北斗の仕事について

違星北斗生誕110年の2012年に
小樽文学館の北斗展があり、
没後85年に
沙流川歴史館で北斗と鳩沢佐美夫の企画展が
開かれるのは嬉しい。

没後90年の2019、
生誕120年の2021(or2022)と、

北斗を知る人が増えて盛大になればよいですね。

私は学者でも研究者でもなく、
論文も書けない、
ただの違星北斗オタクなので、
貴重な資料を持っていても
猫に小判かもしれない。

一緒に研究してくださる方がいらっしゃれば、
違星北斗研究会の資料として、
アーカイブを共有したいと思って、
目下PDF化作業をしています。

取扱注意のものも多いですが。

本来は若いアイヌの方で
北斗の志を継ぎ、
自ら自身を研究するような方の
手に届くようにしたい。
それが余市あたりの方だとベストですが、

余市で末裔の方のお話を聞くと、
難しいかもしれない。

短歌俳句だけでなく、
北斗のやりたかった余市コタン、
余市のアイヌ文化の研究を
若い人がついでくれないかな。

北斗は余市から東京に行って
和人とアイヌである自分というものを見つめ、

平取コタンに行って、
さらに各地のコタンを巡り、
コタン間の違いについて考え、

最終的におらが村、
イヨチコタンの研究を始めた。

その余市のコタンの痕跡は消え続けている。

余市には「吾アイヌ」と宣言するような方は
たぶんいなくなった。

北斗の頃からあった、
短歌に詠んだ「空気」なのだろう。

もちろん、末裔の方はいらっしゃるのだが、
公言されないし、
研究者は和人の方ばかりだ。
前回、余市の教育委員会で
「違星北斗って誰ですか」
と言われた。
北斗さえ知られていない。

他のコタンだってそうなり得るし、
そうなって来たのだろう。
同化政策の成功例の一つに加わり、
忘却される。
「アイヌなんかいない」となってしまう。

忘却こそが最大の侵略者なのかもしれない。

余市コタンの場合は
忘却に対抗する殆ど唯一のよすがが、
北斗の叫びなのだ。

その一点だけにおいても

北斗の仕事はとてつもなく尊い。

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