『著作:童話』

2012年6月 4日 (月)

北海秘話 魂藻物語 (其の一)

 違星北斗が日高各地のコタンを巡り、啓蒙のために「子供の童話」「自働道話」などの雑誌を配っていた時に出会った、長知内小学校の先生、奈良農夫也

 北斗はアイヌ語に関する造詣に関しては金田一京助以上だと評する奈良に、アイヌの昔話を童話として書いて欲しいと頼み、そして奈良が描き上げ、「子供の童話」昭和2年2月号に掲載されたのがこの作品です。

 (其の一)と(其の二)に分かれています。

 (其の一)が、この伝説の伝承者、老媼、テコロタロから聞き取ることになった経緯や、趣意などを沙流山人(=奈良農夫也)が書いたものです。

 (其の二)が、伝承昔話「魂藻物語 (シサム ウェペケレ コモムト゜チ)」です。こちらの方が読みやすいです。

 個人的には、其の二を先に読む方が、味わいが深くなると思います。

続きを読む "北海秘話 魂藻物語 (其の一)" »

北海秘話 魂藻物語 (其の二)

(其の二)

Shisam,uwepekere

KOMOM TUCHI

シサム。コモト゜チ

 胡盲媼 テコロタ ロ伝

 農童守 沙流山人 和訳

Pon wen shisam an.

ポン ウエン シサム  アン      
(ちい)さな 貧乏な 和人が居った。

(=註…大人になつてからも、ポンウェンシサムと人名の如く称す)

Machihi anwa oka, mip ka isam,

マチヒ アンワ オカ ミプ カ イサム   
妻と暮して居たが、着物も無く、


Epka isam, Ramma Pöka sakno oka,

エプカ イサム ラムマ ポーカ サクノ  オカ
  

食物も無く(極貧乏であつた)何時迄も子供が無いので

この上もない不幸であつた。
 あまりあまり淋しいので夫婦は犬(セタ)と猫(メコ)を飼うことにした。
 飼うには飼つたものゝ食はせるものが無いので、これまでよりもなほ一層のこと困ることになつた。
 
で、一生懸命、山へ行つて薪をとり、それを糠(ぬか)と取替へて糠粥(ぬかがゆ)に炊きそれで犬(セタ)と猫(メコ)を養ひ吾子(わがこ)のやうに大切に可愛がつてゐた。さうして飼つゐるうちに、自分達夫婦はだん/\年老(と)つて、犬(セタ)と猫(メコ)はだん/\大きくなつた
 
そのうちに猫(メコ)は犬(セタ)と一緒に村(コタン)を巡(まわ)り歩き、猫(メコ)は人の家に上り込んでもいゝものなので、人家に這入(はい)り、魚の頭や肉の附いた骨などをもつて来て外に待つて居る犬(セタ)に渡した、犬(セタ)はそれを自家(うち)の爺さん媼(ばあ)さんの許(とこ)へ運んできた。
 
犬は大層綺麗な毛色なので、人々はそれを讃(ほ)めながら、可愛がつて、魚のあまり肉の余物(あまりもの)、握飯の半分などを分けて呉(く)れるのを、直ぐ食べたりせずに家(うち)に持ち(銜(くわ)えて)かへり、かうして親のやうな老夫婦(とそりふうふ)を喜ばせながら養つて居た。
 
さうしてるうちに、犬(セタ)と猫(メコ)は、もつと大きくなつた。或日(あるひ)、猫(メコ)が犬(セタ)に相談を持ちかけて、『いつも何時(いつ)も、恁麼(こんな)ものばかりを父さん母さんに上げてるのぢや嘸(さぞ)つまらないだらう。どうだ、自分達ももう大分(だいぶ)大きくなつたのであるしするから、もちつといゝ仕事をしてもつと喜ばして上げようではないか、この辺にばかり居たんでは、これ迄(マンデ)の事より為様(しよう)もないんだから、これから一つ、大長者(ポロニシパ)の居る遠くの町へ行つてウンと稼いで沢山(たくさん)土産(ムヤンキ)をもつて帰らうではないか、えッ?、どうだい』
 
すると、犬(セタ)は直(す)
『ン、よかんべ!』
と賛成した。
 
それから二人で(アイヌではこゝで二疋(ひき)とは言はない)出かけた。
 
ズーット行つて、何処迄(どこマンデ)も行くと、偖(さて)困つたことに、行かうとする自分の前に、大きな川があつた。行くことが出来ぬので、猫(メコ)は、
『こりや困つた!』と叫んだ。
「困つたなァ」と犬(セタ)も哀れつぽい声を出した。猫(メコ)は凝然(じつ)と考へ込んだ。
「まつたく困つたことになつたなァ」犬(セタ)はまた呟(つぶや)く。
 猫(メコ)はやつぱり黙つて考へ込んでゐる。犬は独りで焦慮(やきもき)して、
「切角(せっかく)こゝ迄(マンデ)来たのに、思詰(おもいつ)めて切角こゝ迄(マンデ)やつて来たのに、こんなことになつて、全く困つたなァ、仕方がない、ぢや、もう帰るべ、え?、もウ帰るべや」
 遂到(とうとう)泣き声になつてしまつた。
 すると今迄(いまマンデ)凝乎(じっ)と考へ込んでいた猫(メコ)が、
「ハッハッハッハッ、……」
と笑ひ出した。そして言ふには
「何もそんなに困ることない、俺、さきになって泳ぐからお前は俺の尻尾銜(くわ)へてあとさ銜(つ)いて泳いで来(コ)ればいゝ……」
 と、さう言って川の中へ躍込(とびこ)んだ。犬(セタ)は猫の尾を銜(くわ)えてあとにつゞいた。漸(ようや)く向岸(むこうぎし)に渡りついて、また往(い)つて、行つて、ズーッと行つたら、大きな町が見えた。見たこともない大きなその町に着いて、その中で一番大きなカムイトノの屋敷に這入(はい)った。
 猫は家の中へ這入り、犬はお庭の辺をうろついてゐた。すると、女中らしいのが犬(セタ)を見つけて、
『まァ、綺麗な犬が居る、どこから来た犬だべ、可愛いゝこと…メンコイこと』
 さう言ひながら、一度家の中に入つて、また出て来た。魚の肉の附いた骨や御飯の旨さうなのを(糠粥でないところの)…沢山容器(いれもの)に盛つてきて下に置いた。家から出て来た猫(メコ)は先にそれを見つけて、
『さァ、こゝに沢山御馳走が出た!』と犬(セタ)に報せた。犬(セタ)はそこに来て、猫と一緒に今迄(いまマンデ)喰べたこともないいろ/\な御馳走にありついた。綺麗な犬(セタ)と綺麗な猫(メコ)とが頭(かしら)を並べて仲よく食べてゐるのを、そこのカムイトノが見て、
『恁麼(こんな)に綺麗な犬(セタ)と猫(メコ)、何処(どこ)から揃つて来たのか、二疋(ひき)とも、うちで飼つてやれ 
 
そして此頃(このごろ)、鼠の多いあの穀庫(こくぐら)の番をさせ、鼠獲(と)りをさせよう』
 
と、そして二人(二疋(ひき))はハルオプの中へ遣られた。
 
穀庫(ハルオプー)の中には沢山穀物(アマム)があつて、多くの鼠が集まつてる模様であつた。猫はこゝ一働きと、見る間に三疋四疋……片つぱしから鼠を捕り初めた。
 
(セタ)は、猫(メコ)の捕つたその死んだ鼠を一々庫(プー)の入口へ運んだ。
 
(メコ)は、鼠を捕つて捕りまくり、犬(セタ)も亦、目のまはる忙(せわ)しさで庫の入口にそれを運んだ。入口には鼠の死骸が山の様に積まれ、もう悉皆(すっかり)捕り尽くして一疋も居なくなつた。
 
庫の中は寂然閑(ひっそりかん)とした。もうコソッともしない。犬(セタ)と猫(メコ)は疲れ切つて憩(やす)んでゐた。
 
と、暫時(しばらく)して……ノソ……ノソッ……と変な跫音(あしおと)がどこからともなく聞こえる
『何だらう』
「ホニ何だべ?」
 二人は不思議さうに耳を傾けながら、その足音らしいのゝ近づく方を見て居た
 
一体何者(なに)が来たのか……と。
 
ノソ、…ノソ、…ノソ、…ノソッノソッノソッ!
 
穀庫(こくぐら)の薄暗い奥から現れ出たのを見ると、大きな大きな犬(セタ)ぐらゐもある怪獣(ばけもの)であつた。
 
コリャ大変な怪物(ばけもの)が出たわい…と、犬(セタ)はコワ/゛\友達の猫(メコ)の顔色をソッと見かへした。猫(メコ)も流石に駭(おどろ)いたけれども、さあらぬ体(てい)に……ナニ、これ鼠だもの…と心に思詰(おもいつ)めながらヂリ/\と怪物(ばけもの)の傍近く向つて行つた…歯牙(きば)を剥出(むきだ)しながら…
 
すると、大きな獣は、
「待つてくれ、暫時(しばらく)まつてくれ…」
『お前はいつたい何者だ?』
『俺はたゞの鼠ではい!
『お前はいつたい何だ!!
「俺はたゞの鼠ではない。 神様に霊通(つづい)てる王なんだから。…暫時(しばらく)まつて呉(く)
 
お前は……お前は俺の子供達を悉皆(すっかり)噛殺(かみころ)してしまひ、俺の妻(マチヒ)も喰殺し、親類(ウタリ)も悉(みんな)亡くしてしまつた。それで遂到自分が出て来たのだが、なんで斯様(このよう)に迄 噛殺(かみころ)してしまつたのか?」
 
猫はひるまずに、
『何を世迷言(よまいごと)(ぬ)かすんだ。俺はカムイトノの吩附(いいつけ)で、この庫の穀物(アマム)を食ひ減らして仕様のない泥棒鼠を捕りつくすのだ。さァお前も覚悟しろ!』
 
牙を剥いて喰付(くいつ)かうとすると、
「まァマア待って呉れ、俺はもう最後(おしまい)に残つた…たつた一疋の鼠なんだから、俺に歯向(はむか)つて決していゝことはない、俺を食はずにくれ、俺はたゞの鼠でない。俺は神さまに霊通(つづい)てるものだから」
『いや待たぬ』
「ンならば…俺のお守、お前にあげるから喰はないでくれ」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直(す)ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
『何を呉れる?、何、呉れる、
 何も呉れないば、今直ぐ喰ひ殺すぞ!』
「待つて呉れ、喰はないで呉れ。
 私の大切なお守をやるから。」
 
と(六問六答論法(イワンシュイネチャランケ)はアイヌの神事)イワイソイ(Iwan,isoi)した。
 
大鼠(ポロエルム)は奥の方に行つて暫時(しばらく)してまた出て来た。
 
何か入つてるらしい綺麗な小さなサランベ袋(ブクル)をチャンと銜へてゐる。
 
(メコ)はこれを受け取つた。
 
大鼠(ポロエルム)
「その中にはピンネコモト゜チ(雄Pinne.)とマッネコモト゜チ(雌matne.)がある。それさへあれば何でも自由(かつて)に所有(もつ)ことが出来る。お前達が養はれた父母のために斯様(こう)したところまでンきてるのだといふことは、聴かなかつたけれども、俺は前刻(まえ)から見透(みとお)してよく識(し)つて居た。これを土産(ムヤンケ)に持ち帰つたらば お前達の養父母(ちちはは)である爺さん婆さんは什麼(どんな)に喜ぶかしれない。お前は先刻(さっき)、鼠が穀物(アマム)を盗食ひするといつて怒つたが、鼠が人間の穀物(アマム)を喰ふことは俺達の初め発生(でき)た時から神さまに許されてゐることなのだ。さう許されていることを邪魔して、その上、鼠を食殺すといふことは止めて呉れなければならない。
 
猫はそれに答へて、
『これからは、今日のやうに無闇には食殺すまい。だが鼠(エルム)達だからといつても、神様から許されてる事だからとばかりで、人間の切角(せっかく)働いて庫(プー)さ蔵(しま)つておく物を さう/\無闇矢鱈(むやみやたら)と喰ひ荒すことはいゝことではない。誰だつて、人間だつても、お互(たがい)所有物(もちもの)を盗られるといふことは、あまり気持ちのいゝもんぢゃあるまいからナ』
 
鼠と猫(メコ)達とは、そこで平和(おだやか)に訣別(おわかれ)した。

      

 猫(メコ)達は、もう鼠一疋もゐなくなつた庫に用も無いことだし、それに爺さん婆さんへ持つて帰るいゝ宝の土産物(ムヤンギ)ができたのを喜んで、役済(やくずみ)の気軽さと、嬉しさに 犬(セタ)と相談して早速帰ることにした。

 猫(メコ)は又(また)先になつて コモト゜チ二つ入れたサランベブクルを口に啣(くわ)へ、犬(セタ)もそれに蹤(つ)いて行った。
 もと来たときの、あの大きな川のほとりにきて二人(二疋)ともまた駭(おどろ)いてしまった。上流(かつち)の方に雨が降りつゞいた為か、ワッカポロ(大水)して迚(とて)も渡れさうにない。

 犬(セタ)は落胆(がっかり)した。こゝ迄(マンデ)切角帰り着いたのに、この川渡れさへすれば直ぐにも爺さん婆さんの許(とこ)さ躍(と)んで行けるものになァ……ホニ、きもやなァ……と。

 猫(メコ)も今度こそは、困つたけれども元気をつけて言つた。

 『よし!、行かう、行けないことはない、俺の尻尾を銜(くわ)へて後からつゞいて泳いで来い』

 

 と、それから猫(メコ)はサランベプクルを確乎(しっか)と啣(くわ)て先づさきに水に入った。犬(セタ)も後につゞいて猫(メコ)の尾を銜(くわ)へながら泳ぎ出した。水出が大きく、流(ながれ)が強いので、二人ともズン/\流された。流されながらも向岸(むこうぎし)に近づいたが、渡りつくにはまだ/\距離(ま)があつた。 

 猫(メコ)はたび/\元気のない犬(セタ)のことを心配して、尾から離れないか、離れて流されはしまいかと、あと振向いた。犬(セタ)はついて来てる。

 流れ流れて、流(ながれ)の一層強い個所(ところ)に来たが、岸までもう少しであつた。猫は又犬のことが心配になつてふりかへり、

『もう些(すこし)だ。確乎(しっかり)してっ!』

と気勢づけを言つた。

 犬(セタ)も猫(メコ)もやつと岸についた。身体の水を振落(ふりおと)しながら……さァこれから爺さん婆さんの許(とこ)へ急いで帰るのだ……と二人とも顔見合はしてニツコリしたが猫(メコ)は覚えず…ハッtとした。大事な大事なサランベブクルがない。

 先刻泳いでゐながら『もう少しだ確乎(しっかり)して!』と犬(セタ)を顧(かえり)みながら叫んだ時、思はず口をあいて…その時口から外して流してしまつたのだ。あまり岸に泳ぎ着くことばかりに気をとられ、一生懸命だつたので 口から外したことに気が附かなかつたのだ。

 犬(セタ)も今度こそ全くがつかりしてしまつた。

 爺さん婆さんは什麼(どんな)にか自分等を待ちあぐんでることだらう。年老(とっ)て働けなくなつてから、永い間二人でいろ/\お世話してたのを、フッツリ止(や)めて旅に出たのだから、老い衰へた二人は其後(そのご)食ふものも食はずに居るのではあるまいか、それが今かうして切角(せっかく)立派な宝物を二個(ふたつ)とも土産に持つて帰り、みんなで喜ばうとして来たのだつたに恁麼(こんな)ことになつてしまつた。どうしよう、どうしよう。ほんとに…。

 泣くにも泣きだされず、涙一ぱいためて、すつかり萎気返(しょげかえ)つて了(しま)ひ、流石(さすが)気丈の猫(メコ)でさへも今は全く途方に暮れてしまつた、この川を渡つたら…渡りさえしたら、何も途中心配なく爺さん婆さんの許(とこ)へ帰りつくばかりだつたのに……と、くやしくて/\どうにもかうにもしようがな[か]つた。けれども此儘(このまま)空手(からて)で帰る気にはどうしてもなれず、兎も角、川口まで下つて何か一つ見つけようと、岸づたひに下つて行つた。

 犬(セタ)と猫(メコ)は今迄のことに泣悲(なきかなし)み、また爺さん婆さんの此頃(このごろ)を思ひ案じながら、泣語(なきがた)りに下り下つて、遂到(とうとう)浜に出た。何かあれば…とその辺を歩いてると、渚の砂の上に一尾(いっぴき)のエレクシが死んでるのを見た。大きな大きな鱈(エレクシ)だつた。それがまた途方もない大きな腹をしてゐた。

『恁麼(こんな)大きな鱈(エレクシ)、今迄(いままんで)(まん)だ見たことがない。これでも持って一先づ家に帰り、爺さん婆さんの顔を見てから又(また)何とかいゝ考(かんがへ)を立てる事にしようふゃないか』

と代(かわ)り代りその魚を銜(くわ)へて元来た路を急ぎ帰つた。

 帰つたら、爺さん婆さんも待ちあぐんでゐたのだから、それはそれは喜んだの喜ばないのって今迄(いままんで)見たこともない笑顔で迎へて呉れた。

 二人は早速土産の鱈(エレクシ)を出した。婆さんが先ず料理に取掛かる、「まァこの魚の腹の大きなこと……」さう言ひながら膨れた腹に庖丁を当てたかと思ふと、「オヤッ」、中から思ひがけないものが出た。

 サランベ袋(ブクル)が出たのである。猫(メコ)は急いでかけ寄つてその中を覗く…と見るまに…コモト゜チをとり出した。

 ヨーろこんだの喜ばないのつて、それをもつて爺さんの前に高くもち上げ、婆さんの前へ行つては振りまはして見せ、クル/\跳廻(はねまわ)つて二つのコモムト゜チを手玉にとつて踊りはじめた。

 犬(セタ)も一緒になつて踊り出した。

踊疲(おどりつか)れてから猫(メコ)は炉の傍に来て密(そっ)と犬に耳囁(みみうち)して

『お前は火媼神の近侍(トンデ)(トンチは和語通辞?)なんだから神(カムイ)に一応礼祷(イノンノ)して、爺さんに上げろよ、それからこの婦性(マトネ)コモト゜チmat ne kom-m tuch』の方は、

 
……インネマチヤ――(Inne machiya.
 
……ウタリコエウン――(Utari koeun.
 ……アンタキ!(Antaki!


 セコロハエアンコロ、エシリキせば、インマチあるんだから、また、夫性(ピンネ)コモムト゜チ(
Pin ne komom tuchi)は、
 

 ……タンウシケタ(
tan ushiketa.
 
……イワンハルオプー(Iwan haru opu.
 
……イワンカニオプー(Iwan kani opu.
 
……アンタキ!(Antaki!

と、言って、エシリキ(
Eshi rikk、槌打)せばよい』
 

 
犬(セタ)はそれを聞いて教へられた通り火神(アペフチ)に通祷(イノンキ)して、槌打(エシリキ)の言葉を添へて爺さんに捧げた。爺さんは、ラタイワイスイ(低位掌抄六礼、Rata iwan isui) リキタイワイスイ(上位抄掌六礼、Rikita iwan isui.)捺掌礼(オンカミ)してそれを受けた。

 それで収めて爺さんも婆さんも犬(セタ)も猫(メコ)も大ニコニコに喜んだ。

 爺さんはマッネコモト゜チとピンネコモト゜チを持つて外に出た。山の気色(けしき)、川の気勢(けはい)、野の具合を見計ひ、こゝらに村(コタン)が出来ると好(い)いな…と思はれる個所を見て、そこに佇(た)った。そして先づマッネコモト゜チを右手に身構へた。


「……インネマチヤ
 
……ウタリコエウン
 
……アンタキ!」


と叫んで槌打(エシリキ)したら、立派な沢山な家がズーッと出来て、そこにガヤ/\と人の話声(はなしごえ)が賑かにして、軈(やが)て方々の家から人々が出て来る。次ぎにピンネコモト゜チをとつて、


「……タン、ウシケタ
 
……イハンハルオプー
 
……イワンカニオプー
 
……アンタキ!」

 
と朗らかに言つてエシリキしたら、大きな穀庫(ハルオプー)が六つ、大きな金蔵が六つ、ズラリと並び建つた。

 四人はこれを見て足踏み鳴らして踊り喜んだ。大長者になつた爺さん婆さんは、自分の創りなした村中の者らに神人(カムイニシパ)のやうに尊ばれ、犬と猫とを可愛がりながら何不自由なく楽しく暮らすことが出来た。


(をわり)

 

 

2008年8月12日 (火)

資料再読

北斗の全資料を再読しています。
その中で、いくつか発見がありましたので、書き込んでおきます。

(1)「子供の道話」昭和2年1月号に掲載された北斗の手になる童話「世界の創造とねづみ」について。

このお噺は、「清川猪七翁」からの聞き取ったものですが、この清川猪七翁という名前、どこかで見たことがあると思っていたのですが、この方はジョン・バチラーの助手であった「清川戌七」ではないかと思います。

 清川戌七といえば、「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」の中で、ジョン・バチラーや八重子、吉田花子のことを語っている方です。
http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/post_ab90.html

この方は、1874(明治7)年生まれですから、この童話が書かれた大正15年には52歳、北斗から見れば「翁」といっても差し支えない年齢だと思います。

 「文献上のエカシとフチ」(札幌テレビ放送)によると、この方は新冠出身、明治22年新冠でジョン・バチラーと出会い、以後その布教を助けたそうです。
 生活地は平取町荷菜ということなので、北斗が平取教会にいたときに出会ったのでしょう。

続きを読む "資料再読" »

2006年9月24日 (日)

北斗の童話 拾遺

 鍛冶照三は私家版で「あけゆく後方羊蹄(しりべし)」という本を出しています。
 これは、日本書紀の斉明記に出てくる、阿部比羅夫が蝦夷地に渡り、後方羊蹄というところに政庁を置いたという記述について「その政庁を置かれたところこそ余市である!」という、少し毛色の変わった本です。

 鍛冶はこの本の中に、違星北斗との思い出を書いており(前述の「よいち」掲載の分の転載)、さらに北斗が書き残したという童話を3編掲載しています。

 そのうち1編は、『コタン』掲載の「郷土の伝説 新出からの魂の生活」という昔話ですが、もう2点が、新発見のものです。
 初出がどこかわからないので、本当に北斗のものであるという証明ができませんが、北斗の書いた昔話として載せてみます。


「あけゆく後方羊蹄」   鍛冶照三

十四、余市に伝わるアイヌの伝説(違星北斗の記述から)

(1)シリパのオマンルパラ


(略:コタン所収「郷土の伝説 死んでからの魂の生活」とほぼ同じ内容)



(2)林檎の花の精

牛乳のような柔らかみを帯びた空に夕陽が赤く流れる春の夕べ、美しい雲が往来して、そよ吹く風に林檎の花が銀の雪のように散った。
山に猟にでかけたコタン近くまで来た時には、日はとっぷり暮れてかすんだ月がぼんやり輝いて細長い野道を青白く彩っていた。若者はほの白く咲いたりんごの木並びに差しかかった時、ふと誰かがつづいて来るように感じた。若者ふりかえって見た。けれどもそこには甘い匂いを漂わすりんごの木立ちが道の両側を囲むのみで、何の姿も見え出せない。「何だろう?」若者はつぶやきながら歩みつづけた。けれど何となく恐怖しかかった。彼は大声を上げて歌い出した。それは恐怖から逃れようとする彼の可憐な努力であった。洗練された美しい声が、静かな山道に反響して遠く消えて行く。りんごの花がほろりと散る。若者は一心に歌った。けれど声がとぎれると、確かに何者かのかすかな足音が耳に入る。ちょうど宙を行くような軽い足音であった。「あなた、あなた。」水の垂るような声が、ふと夜の静けさを破って聞えた。若者はきょっとして声のする方を見ると、そこには世にも美しい一人の女が立っている。
「私は先刻からあなたのお出でを待っていました。」と言って、女は真珠のような歯を現わしてほほえみました。
「一体あなたは誰人です。」
若者は顫える声で訊いた。女は「シノオマニイオチの娘です。わたしはあなたを思っていました。」と言って寄り添って来た。若者は、それから後は夢見るような気持ちであった。
「今夜はこれでお別れしましょう。」暫くたって女はしんみりと言った。若者はまだ熱にうかれたかのようい「これから私と一緒に来て下さい。そうしていつまでも離れずに居りましょう。」と言う。
「今夜は行くことが出来ません。十六夜の月が出たら迎えに来て下さい。」「なぜ今夜はいけないのですか。」「でも……。」と女は言葉を濁した。「では十六夜の月の出る時を待っていましょう。その夜、美しいあなたを、私はきっと迎えに来るでしょう。」「ほんとうに……。」「誰がウソを言うものですか。」「堅くお約束いたします。」「勿論ですとも。」と若者は大きくうなづいた。「わたし嬉しい……。」と女は燃ゆるような瞳を若者の頬に寄せた。若者は念を押して女の手を放すと、「さようなら……。」と女は言葉を残したかと思うと、雪と散るリンゴの花の中に、姿を吸われるように消えてしまった。
若者は、あまりのことにぎょっとした。そして恐怖を感じて鳥の翔けるように走ってコタンに帰った。その出来事は嬉しい夢であり、恐しい夢であった。女との約束を果たす気にはなれなかった。十六夜の月はほのぼのと大きく輝いて、山からさしのぼった。若者はしかし女のとこに行こうとしなかった。次の朝、白いリンゴの花に身を埋めて若者が冷たくなっておるのをコタンの人々が発見した。

管理人  ++.. 2006/09/24(日) 22:55 [274]


(3)ローソク岩と兜岩

「あれ!赤い火が沖を飛ぶ、焔のように乱れ飛ぶ、ズート列をなして沖の方へ飛んで行く。早い、早い、実に早い何だろう。この暴風雨に海へ出ている舟もなかろうに……。不思議だなァ……。」
余市町に近い寂しい海辺、星一つない真っ暗な沖合いに、赤い一列の灯が乱れ飛ぶのを見ながら、村の者は物の怪につかれたように、恐れ騒いでいた。
この村に勇敢な若者があった。赤い灯が飛んだ夜……、彼は不思議な夢を見た。美しい月夜だった。彼は沖へ出て釣りをしていた。グイグイ強い手応えと共に竿を上げようとしたが動かぬ、あせればあせる程、彼は強い力で底の方へ、グングン引かれ、いつの間にか、彼は底知れぬ深い暗いところに引き入れられるような気がした。彼の前には大きな岩の門が立っている。彼は入って見た。そこには彼の空想だにしたことのない壮麗な城があった。二匹の大きな魚が門の両側に楯を持って立っていた。そして彼をうながした。奥に入ると広い。恐ろしく立派な部屋に出た。そこに微笑んで立っている美しい女を見た。華やかな装い。しかしどこかに愁色が漂っていた。
「人界の御殿とお見受け申します。わたしはこの奥の王城の女神ですが、どうか折り入って私の願いをきいて下さい。そしてあなたの御力を貸して下さい。」こう云った女神の愬(うった)うるところに依れば、ここ十数日毎夜々々海の怪獣が列をなして押し寄せ、王城の魚を奮(ママ)って行く。男の神様でも居れば退治することも出来ようが、生憎遠国へ出かけて留守だから、あなたのお力でその怪獣を退治してくれ、成功すればお礼として毎年夥しい銀色の鰊をあなたの村へ贈るというのである。
「ハテ不思議だ。さてはあの赤い灯は怪獣の行列であったか。」日頃夢など信じたことのない彼ではあったが、この時ばかりはこの夢が妙に気になって仕方がなかった。何だか不思議な予感が波立ったのであった。
その日村の農夫が耕やしていると、何か硬いものがカツンと鍬にあたった。掘り返えして見ると、立派な青銅造りの兜と氷のような剣だった。土の中にあったにも拘わらず、剣は不思議にピカピカ光っていた。
「これはデッカイものを掘り出した。」噂を聞いて若者は、カムイの使者に聞いた。「これはあの女神があなたの勇気を頼んで、この不思議な武器を下さったのぢゃ。」若者の怪獣に対する恐れは、この一言で全く消え去った。彼はその厳しい武器を見た刹那、何んとなくその武器をもって力の限り戦って見度(みた)い心が、漲り湧くのを覚えた。数日の後、選りすぐった三十人の勇士が熊の皮に身を固め、手に手に槍を持って勇しく
浜を船出した。船頭には神秘の兜をつけ、降魔の利剣をひらめかした若者の姿が雄々しく見られた。舟は余市の沖を北へ北へと進む。月は既に落ちて月のない大空には北極星が寂しく光っていた。彼等は赤い灯を……真っ暗な海を一列に乱れ飛ぶ不思議な灯を待った。
その時、東の方に一点の赤い灯がポッカリ浮んだ。一つ、二つ、三つ、灯は忽ち数を増し、夥しい列をなして、真一文字に乱舞し、旋回しつつ押し寄せて来た。そして恐ろしいこの世のものとも思えぬ叫声をあげながら、物凄い勢いを以って船に肉迫して来る。剣は暗に閃く、槍は流れる。矢は波頭を切って飛ぶ。恐ろしい戦いは始まったのだ。若者は霊剣を滅法に振り廻したが、何の効果もなかった。バタリバタリ凄まじい音を立てながら、味方の漁夫は船から海へ怪獣のために斃(たお)されて行く。若者は死者狂いだった。怪獣は益々その狂暴な底力を発揮し暴れ廻わる。その時叫喚の音の絶え間に鋭い声が彼の耳を打った。
 「剣を潮にひたせ、その剣を」彼は夢中になって剣を海中に入れた。時しも怪獣の一つは恐ろしい力を以って彼の首を引き抜こうとする時だった。不思議なるかな、この時剣は急に灼熱して光りを増した。と思うと怪獣は奇異な叫びを発して、何処ともなく退却した。かくして戦いは終わった。海は静まった。しかし何んたることであろう。若人はそれから村には姿をみせなかった。その事件があって五日目であった。一人の男が「オイオイ皆来イ!」眠りから覚めた人達は彼の指さす方向を見た。不思議にも若者がかぶっていた赤銅の兜がポッカリ浮いている。そして更に不思議なことには、彼の腰にさしていた剣は突き立っているではないか。このことがあってから、余市は毎年のように鰊が押し寄せて村は豊かにすごすことが出来た。一方を兜岩、一方をローソク岩と村人は呼んでいるが、それは怪物を退治した記念の兜と剣の化石である。

管理人  ++.. 2006/09/24(日) 23:59 [275]

2006年7月10日 (月)

アイヌのお噺 世界の創造とねづみ

アイヌのお噺(ウエベケレ) 第二信

世界の創造とねづみ (清川猪七翁談 文責 北斗)

 世界(モシリ)は元と海もなく岡もなく雲の様な泥の様なものでありました。
 天上大神(カントコロカムイ)が黄金のよし(コンカネシュック)で突つきました。すると水が一つところに集つまり土が土で又固りました。そして干きあがりまして、水の洋々としてゐる処は海(アト゜イ)となり、岡は陸(ヤウンモシリ)となりました。万物判然と現れ、そして世界の創造が全部出来あがりました。
この世界を支配する神様が天上からお降りになることになりました。
 ところが悪神(ウエンカムイ)がありました……(この神様(カムイさま)は何んでも反対するし亦外(ほか)の神様(カムイさま)をねたんだり羨んだりする悪い神威(カムイ))……心ろ密かにこの世界を自分のものにしやうと、悪計をしました。そして
「私がモシリを治めませう」
と言ひ出しました。
「イヤ私は天上大神(カントコロカムイ)の命で支配するのです」
と申しましても悪神(ウエンカムイ)はなか/\剛情で聞き入れません。よい神様もほと/\困つてしまひました。どちらも、ゆずり合ないので果しがつきません。かういう時ウヌプルパップペと云ふて術くらべ、或は智慧くらべ、をやつてあらそひの勝負を決定することになります。
そこで、よい神様と悪い神様と、ウヌプルパップペを、やることになりました。
「デハ私は先づ初めませう。いり豆を畑に蒔(まき)ます。この豆に花が咲き実が結ばなかつたら私は負けますけれど若し成功したら貴公は私に服従しなければなりません。」
と、悪神(ウエンカムイ)は問題を出しました。
正しい神様は今はいやとも言(いわ)れず、それに賛成することになりました。いつた豆だからよもや生へやうとは思ませんでいた。
悪神(ウェンカムイ)は、豆をいりました。そして畑にまきました。すると驚くではありませんか、件のいり豆がぽつ/\芽を出し初めました。
よい神様(カムイさま)は、サァ大変だ。これではならぬと、大そうご心配になりました。このまゝに捨て置いてはあの豆がやがて成るであらう。今負けては悪神(ウエンカムイ)にこの世界が自由勝手にもてあそばれてしまふ、はてどうしやうと。腕をくんで思案してゐました。折柄一匹のねづみがちよろ/\と出て来て、
「ご心配には及びません。私がこれからあの豆を皆根を食ひ切つて参ります」
 と云ひ去りました。ねづみは遠くよりトンネルを掘つて行きました。そして悪神(ウエンカムイ)のまいた豆を一つ残らず根を食ひ切つてしまひましたので流石(さすが)の豆も全部枯れてしまいました。
悪神(ウェンカムイ)は遂ひに負ました。よい神様(カムイさま)は大そうお喜びなさいまして、彼(か)のねづみを大そうおほめになりまして、ごほうびとして言渡しました。
「ねづみよ、お前はよく働らいてくれた。今度のほうびとしてお前達はこれから人間の物を喰ふ事を許可する故に。人間のこしらへたものなら何んでも遠慮なしに食ひなさい」
 よい神様(カムイさま)のお為めになつたねづみは神(カムイ)に許され今に尚(な)ほ人間の物を喰ふて生きてゐます。
 ……(ですからねづみをむごたらしいいぢめ方或は殺しかたをするものではないそうです)……
  ………………………
 世界(モシリ)は善い神様(カムイさま)をいたゞいてゐます。(完)

2006年7月 5日 (水)

アイヌのお噺 半分白く半分黒いおばけ

アイヌのお噺(ウエベケレ)(第一信)

半分白く半分黒いおばけ

(バチラー八重子伝承)文責 北斗


 二人の兄弟がありました、兄(あに)さんは強くて大きくて元気のよい方(かた)でした、弟は生れつき体が弱くて兄様ほどの元気はなかつたですけれども正直で親切な弟は村(コタン)では評判者でした。お母さんの言附けもきかない兄は遊んでばかりゐまして、水をくむのも、お使に行くのも皆弟がさせられました、こうして生長するにつれて兄はだん/\悪くなりまして、毎日毎日お酒を呑んで遊んでゐました。もう村では
「アヽあれかあれはもうどうにもこうにも手の附けやうのない男だ、酒を呑んでけんかばかりする、あんな者はとても相手にされたものではない」。と爪はぢきしました。
 可愛そうに弟は弱いからだをいとはずに、或時は熊とも闘はねばなりませんでした。又或時は巨濤を乗切つてシリカツプの漁に出る、マレツプ(ホコ)をひつさげてチイップ(鮭)をとりに川にゆくのです。兄の姿は見えません、丈夫でない弟にこんなに骨折らしてゐる兄にはこの村(コタン)ではお友達一人もなくなつたのです。それでもちつとも憎めなかつた兄思ひの弟は、一番仲のよいお友達でしたのです。しかし兄にはこれをそうとは思ひませんでした、こんな弟がゐるから世間では俺を相手にしないのだ、いまいましい弟だと、自分のいけないのを考へないでひそかに恨んでゐました。

ある日のことです、いままでにない程親切に「弟よ今日は釣りに行かうではないか」と申ました。海も静だ天気もよいし、いつになく起源のよい兄の顔をみて弟は悦で賛成しました。
 それから川を下つて海に出ました、例によつて弟は一生けんめい車がいを漕ぎます、
 アシタポで梶をとつてゐる兄はまるでお客様のやうにかまへてゐて「まだ行かう、もう少し行かう」と弟にばかり漕がしてゐます。沖へ沖へと半日たゞ進ませてゐました、もう自分達のコタンがみえなくなつて高い山だけが遠く小く水平線にみへるだけでした。こんなに沖に来て一体なにするだらうと弟はそろ/\心配になつた、けれども一向平気で兄は尚も先へ行かうとします、其の日の夕方にやつと一つの島に着きました。
 兄「お前は一寸の間こゝに待つてゐてくれすぐ迎へに来るから」弟を上陸さして兄はどつかへ行つてしまいました。何程待つてゐても更らに迎へに来ないのです、すつかりくたびれた、お腹もすいた、日も暮れかゝつたのです。それでも、今にきつと迎へに来るだらう、と信じてゐました。そして腰からタバコ入れを取出して煙管(きせる)をくわへパクリ/\と喫てゐました。その時一陣の風と共に岩かげより大きな人間が現れました、と見ればこれはまた不思議なことにはその巨人は半分は真白く半分は真黒い顔をして半分白く半分黒い着物を着て弟の傍にづか/\とやつて来ました。やさしい弟はこの怪物をみて怖れるよりも不思議で耐(たま)りませんでした。自分が今まで喫(の)んでいた煙管を一寸(ちょっ)と袖でふいてそのおばけに「お喫(のみ)なさい」と差出しました。そのおばけはだまつてその煙管を受取るておもむろに一ぷく喫(すっ)て、怖い相貌をくずしてニツコリ笑ひました。そして
「俺は元より怪物である、お前を喰ひに来たのである、お前の兄に頼まれたから喜んでお前を喰殺すつもりで来たのであるけれども、お前は実にやさしい人間だ、罪もないお前を殺すのは可愛相である、俺は半分は白く半分は黒いがこれは半分は良心半分は悪心の魔であつて半年は悪魔の尤も猛烈な時であり半年は幾分良心に引かされて魔性のゆるやかな時である。お前ももう四五日も遅れて来たならとても助けられもせないのであるけれども、丁度良い時に来たものである、親切で正直なお前の心に免じて助けてあげませう。サア俺の帯をつかんで歩いて来なさい」
と、申しました、仕方なしに云れるまゝ怪物の後について行きました、とても歩くのが早くて早くてまるで飛んでゐる様です、こんな断崖はどうして昇れやうと思ふ様な処でも何の苦なしに上がられます、そして大きな岩屋に着ました、件のおばけは声をひそめて
「今暫らくこゝにかくれてゐなさい」
と、うす暗い物かげに隠してくれました、どうなることかと心配しながらぢつとしてゐましたら怖ろしい風音してどつからともなく悪魔が集つて来ました
「アア良い匂がするネ」
「人間臭い、良い匂だ」
怖くて恐ろしくて耐まらないのですけれどそつとすき見しますと、これは/\半分白く半分黒いおばけの群れです。するとさい前(ぜん)のおばけは
「ウン人間臭いのも道理ださつき人間の村(コタン)から飛んで来た烏(パシクル)が屋根の上でないてゐたつたそれだから人間臭いのだ」
「そうかいナァーンダ」
「がつかりするネ」
またも大きな風音と共に帰った様子です、

「サアもう大丈夫だ出てゐらつしやい、そうだそうだ、お腹がすいてゐるだらう。よし/\待つてゐなさい。今まごはんを進(し)んぜやう」と、半分白く半分黒い大きなお鍋に半分白く半分黒いお米(アマム)を煮ましたそしてお膳もお椀もおはしもことごとく半分白く半分黒いものづくしです。沢山ご馳走になりその夜は安心して一泊しました。あくる日でした、
「お前の兄は大そう悪い者であるが、それに引替へ弟はなか/\感心であるから良い宝物を授けてあげるにより大切に保存せよ、村に帰つてもそのやさしき心をなくせない様にしてゐなさい。此の寶さへあれば一生幸福に暮せるであらう。」(宝物は何であるか不明)
「誠に有難う存じます」
と、おし戴きました。その日のうちに送られて帰りました、驚いたのは兄です、村(コタン)の同族(ウタリー)に「弟は舟から落て行先不明になつた」と、よい加減な事を云ふてゐたのがふいに帰つて来たのです、村の人は大そう悦んで迎へました、それからと云ふものは弟は益々評判がよく幸運が続くのみでした。
つく/゛\と考へた兄は羨やましくてなりませんでした、其の後ひそかに彼(か)のおばけの島にと舟出しました、けれどもそれつきり兄の消息を知る人はありません、二度と村に帰つて来ない兄はどこでどうなつたでせう?
  ………………………
 正直で親切な弟はそれからと云ふものは本当に目出度(めでた)く栄へました。(ヲワリ)
(ウイベケレには兄弟の名が現はれてゐませんでした)

(『子供の道話』大正十五年十月号)

フォト

違星北斗bot(kotan_bot)

  • 違星北斗bot(kotan_bot)
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ