▲自動道話

2009年10月 6日 (火)

阿佐ヶ谷散策

日曜日に自転車に乗って阿佐ヶ谷を探検してきました。

まず、北斗が北海道からの二日間の道中、牛乳一杯のんだだけで、上京後最初に訪れたという、西川光次郎の自働道話社の住所。

 東京府杉並町阿佐ヶ谷678ですが、古地図と現代の住宅地図を照らし合わせてみましたところ、これは現在の住所でいうと、おそらく、ここではないかと推測します。

 ここ

 杉並消防署の、それも訓練場のあたりか。

 けっこう、中央線の阿佐ヶ谷駅からは遠いんですね。
 「自働道話」に乗っていた自働道話社(西川光次郎宅)へのアクセス方法には「阿佐ヶ谷の駅を出て、右へ3町、湯屋の前を右に曲がり、二町ばかりいきし所」とあるのですが、そうなると、駅から人は東向きに出て、南に約300m、西に約200m行くことになりますね。
 むしろ、成宗に近い。

 その成宗といえば、金田一京助が住んでいたところ。
 金田一を訪ねて農村地帯だった成宗を訪ねて行った北斗は途中で田んぼに落ちて泥だらけになったりしながらも、夜の8時にようやく金田一宅をさがしあて、その夜に運命的な会談をするわけです。
 その会談の行われた金田一京助自宅は「杉並町成宗332」。
 これは現在の成田東四丁目。

 自転車で「たぶんこのあたりかな」と思いながら走っていると、突然見覚えのあるお名前の表札(「国語の神様」としてテレビでおなじみの先生)があり、やはり、このあたりかと思いました。
 
 北斗のころとは違って、田んぼなどまったくない、閑静な住宅地ですね。

管理人  ++.. 2009/10/06(火) 01:48

2008年8月12日 (火)

資料再読

北斗の全資料を再読しています。
その中で、いくつか発見がありましたので、書き込んでおきます。

(1)「子供の道話」昭和2年1月号に掲載された北斗の手になる童話「世界の創造とねづみ」について。

このお噺は、「清川猪七翁」からの聞き取ったものですが、この清川猪七翁という名前、どこかで見たことがあると思っていたのですが、この方はジョン・バチラーの助手であった「清川戌七」ではないかと思います。

 清川戌七といえば、「『アイヌの父』ジョン・バチラー翁とその助手としてのアィヌ、私」の中で、ジョン・バチラーや八重子、吉田花子のことを語っている方です。
http://iboshihokuto.cocolog-nifty.com/blog/2004/10/post_ab90.html

この方は、1874(明治7)年生まれですから、この童話が書かれた大正15年には52歳、北斗から見れば「翁」といっても差し支えない年齢だと思います。

 「文献上のエカシとフチ」(札幌テレビ放送)によると、この方は新冠出身、明治22年新冠でジョン・バチラーと出会い、以後その布教を助けたそうです。
 生活地は平取町荷菜ということなので、北斗が平取教会にいたときに出会ったのでしょう。

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