▲コタン

2019年1月 5日 (土)

『アイヌの姿』


後藤先生

 どういふ風に書いたら今のアイヌに歓迎されるかと云ふことは朧げながら私は知ってゐます。にもかゝはらず本文は悉くアイヌを不快がらせてゐます。
 私は心ひそかにこれを痛快がってゐると同時に、悲痛な事に感じて居ります。これは今のアイヌの痛いところを可成り露骨にやっつけてゐるからであります。若しアイヌの精神生活を御存じない御仁が之を御覧になられたら、違星は不思議なことを言ふものかなと思召されることでせう。殊にコタン吟の「同化への過渡期」なぞに至っては益々この感を深うすることでせう。アイヌを愛して下さる先生にかやうなことを明るみであばくことは本当に恥しいことであります。けれどもアイヌの良いところも(もしあったとしたら)亦悪いところも皆んな知って頂きたい願から拙文をもってアイヌの姿(のつもりで)を正直に書きました。なるべくよそ様へは見せたくはありません。それは歓迎されないからではありません。ナゼ私は私さへも不快な事実を表白せねばならないか。その「ねばならぬ」ことを悲しむからです。只々私の目のつけどころ(ねらひどころ)だけを御汲みわけ下さい。

 永劫かくやと思わせた千古の大森林、熊笹茂る山野、はまなしの花さき競ふ砂丘も、原始の衣を脱いで百年。見よ、山は畑地に野は水田に神秘の渓流は発電所に化して、鉄路は伸びる。巨船はふえる、大厦高楼は櫛の歯のやうに並ぶ。
 かうして二十世期の文明は北海道開拓の地図を彩色し尽した。嗚呼、皇国の隆盛を誰か讃仰せぬ者あらう。長足の進歩! その足跡の如何に雄々しき事よ。
 されど北海の宝庫ひらかれて以来、悲しき歩みを続けて来た亡びる民族の姿を見たか……野原がコタン(村)になり、コタンがシャモの村になり、村が町になった時、そこに居られなくなった…………、保護と云ふ美名に拘束され、自由の天地を失って忠実な奴隷を余儀なくされたアイヌ…………、腑果斐なきアイヌの姿を見たとき我ながら痛ましき悲劇である。ひいては皇国の恥辱である。
 アイヌ! あゝなんと云ふ冷かな言葉であらう。誰がこの概念を与へたであらう。言葉本来の意義は遠くに忘れられて、只残る何かの代名詞になってゐるのはシャモの悪戯であらうか。アイヌ自身には負ふべき責は少しもなかったであらうか? 内省せねばならぬことを痛切に感ずるのである。
 私は小学生時代同級の誰彼に、さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生々活をしたと云ふ理由は、簡単明瞭「アイヌなるが故に」であった。現在でもアイヌは社会的まゝ子であって不自然な雰囲気に包まれてゐるのは遺憾である。然るにアイヌの多くは自覚してゐないで、ただの擯斥や差別からのがれようとしていてのがれ得ないでゐる。即ち悪人が善人になるには悔あらためればよいのであるが、アイヌがシャモになるには血の問題であり時間の問題であるだけ容易でないのである。こゝに於て前科者よりも悪人よりも不幸であるかの様に嘆ずるものもある。近頃のアイヌはシャモへシャモへと模倣追従を事としてゐる徒輩がまた続出して、某はアイヌでありながらアイヌを秘すべく北海道を飛び出し某方面でシャモ化して活躍してゐたり、某は○○○○学校で教鞭をとってゐながら、シャモに扮してゐる等々憫むべきか悲しむべきかの成功者がある。これらの贋シャモ共は果して幸福に陶酔してゐるであらうか? 否ニセモノの正体は決して羨むべきものではない。先ず己がアイヌをかくしてることを自責する。世間から疑はれるか、化けの皮をはがれる。其の度毎に矛盾と悲哀のどん底に落つるか、世をはかなみ人を恨む。此の道をたどった人の到達の点如何に悲惨であるかは説明するまでもないことである。吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的でない。いわんやニセモノにおいてをやである。
 けれども悲しむべし。アイヌは己が安住の社会をシャモに求めつゝ優秀な者から先をあらそうてシャモ化してしまふ。その抜け殻が今の「アイヌ」の称を独占しているのだ! 今後益々この現象が甚しくなるのではあるまいか? 優生学的に社会に立遅れた劣敗者がアイヌの標本として残るのではあるまいか?
 昔のアイヌは強かった。然るに目前のアイヌは弱い。現代の社会及び学会では此の劣等アイヌを「原始的」だと前提して太古のアイヌを評価しようとしてゐる。けれども今のアイヌは既に古代のアイヌにさかのぼりうる梯子の用を達し得ないことを諸君と共に悲しまねばならぬ。
 アイヌはシャモの優越感に圧倒されがちである。弱いからだと云ってしまへばそれまでであるが、可成り神経過敏になってゐる。耳朶を破って心臓に高鳴る言葉が「アイヌ」である。言語どころか「アイヌ」と書かれた文字にさへハッと驚いて見とがめるであらう。吾人はこの態度の可否は別問題として、かゝる気づかひを起こさしめた(無意識的に平素から神経を鋭くさしてゐる程重大な根本的欲求の)その第一義は何であらう? ―――アイヌでありたくない―――と云ふのではない。―――シャモになりたい―――と云ふのでもない。然らば何か「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。適切に云ふならば「日本臣民として生きたい願望」であるのである。
 此の欲求をはき違へたり、燃ゆる願をアイヌ卑下の立場にさらしたことを憫れむのである。
 同化の過渡期にあるアイヌは嘲笑侮蔑も忍び、冷酷に外人扱ひにされてもシャモを憎めないでゐる。恨とするよりも尚一層シャモへ憧憬してゐるとは悲痛ではないか。併しながら吾人はその表現がたとひ誤多しとしても、彼等が衷心の大要求までを無視しようとするのでは毛頭ない。アイヌには乃木将軍も居なかった。大西郷もアイヌにはなかった。一人の偉人をも出してゐないことは限りなく残念である。されど吾人は失望しない。せめてもの誇りは不逞アイヌの一人もなかった事だ。今にアイヌは衷心の欲求にめざめる時期をほゝ笑んで待つものである。
「水の貴きは水なるが為めであり、火の貴きは火なるが為めである」(権威)*1
 そこに存在の意義がある。鮮人が鮮人で貴い。アイヌはアイヌで自覚する。シャモはシャモで覚醒する様に、民族が各々個性に向って伸びて行く為に尊敬するならば、宇宙人類はまさに壮観を呈するであろう。嗚呼我等の理想はまだ遠きか。
 シャモに隠れて姑息な安逸をむさぼるより、人類生活の正しい発展に寄与せねばならぬ。民族をあげて奮起すべき秋は来た。今こそ正々堂々「吾れアイヌ也」と呼べよ。
 たとい祖先は恥しきものであってもなくっても、割が悪いとか都合がよいとか云ふ問題ではない。必然表白せないでは居られないからだ。
 吾アイヌ! そこに何の気遅れがあらう。奮起して叫んだこの声の底には先住民族の誇まで潜んでゐるのである。この誇をなげうつの愚を敢てしてはいかぬ。不合理なる侮蔑の社会的概念を一蹴して、民族としての純真を発揮せよ。公正偉大なる大日本の国本に生きんとする白熱の至情が爆発して「吾れアイヌ也」と絶叫するのだ。
 見よ、またゝく星と月かげに幾千年の変遷や原始の姿が映ってゐる。山の名、川の名、村の名を静かに朗咏するときに、そこにはアイヌの声が残った。然り、人間の誇は消えない。アイヌは亡びてなくなるものか、違星北斗はアイヌだ。今こそはっきり斯く言ひ得るが…………反省し瞑想し、来るべきアイヌの姿を凝視みつめるのである。
(二五八七・七・二)


※ 95年版『コタン』より
*1 引用されている文章は後藤静香の『権威』所収の「女性」の一部である。

2010年8月15日 (日)

違星北斗「ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」

 本当に、久しぶりの更新です。すみません。

 「沖縄教育」1925(大正14)年6月号に掲載された伊波普猷の論文「目覚めつゝあるアイヌ種族」は、東京時代の違星北斗の姿を描いたものとして有名ですが、それと同じ号に、違星北斗による「ウタリ・クスの先覚者中里徳太郎氏を偲びて」という文章が掲載されていましたが、希少な雑誌のため、確認できていませんでした。

 伊波普猷の論文の方は、その後伊波普猷全集に収録されたましたので、容易に目にすることができたのですが、北斗の文章は雑誌掲載後、どこにも転載されませんでしたので、幻の文章になっていました。

 昨年4月、沖縄県の学芸員の方に「沖縄教育」の記事を見せていただくことができましたので、本文が確認できました。

 だいぶ間があいてしまいましたが。

 1925年2月に上京した北斗は、金田一京助との出会いをきっかけにいろんな学会に顔を出すようになり、この3月19日に金田一が開いた「東京アイヌ学会」に出席し、そこで演説することとなります。それを文章化したものが、この論文です。

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